ジャスミンの香りは夜に増す。
昼、平野の丸徳でにんにくラーメンを食べ、その濃厚な匂いがカラダにまとわりついていたが、リビングに満ちる甘い香りで中和されたような気がした。
ため息でも漏れたのだろう。
帰宅したばかりのわたしの疲労を察知した家内が即座、マッサージ屋に電話をかけた。
この日の昼、家内もマッサージを受けていた。
アキシノという青年の施術が神技であったという。
が、あいにく時は祝日前夜。
人気施術者の予約など取れるはずもなかった。
指名なしでマッサージ屋へと赴き、カラダを預けた。
エジソンもなかなかの腕前。
至福の時間にひたった。
ジャスミンの香り同様、仕事を終えた夜、決まって幸福感が増す。
マッサージを受けカラダが軽快になったから降り続ける雨など何のその、幸福感はいつにも増した。
で、ふと思った。
そんな幸福感が過半を占めるこの日記である。
いい気なものだと苦笑する人は少なくないだろう。
仕事では感謝することばかり。
充実の度もやり甲斐も増している。
子らは元気で、幼い頃の寝顔を思い出すだけで思い溢れて胸が満ち、女房は相変わらず甲斐甲斐しく、こんなに自分によくしてくれる人がいて、どう言葉にしていいか分からない。
そもそもが、おめでたい幸福気質。
「満ちた箇所」がたとえ微細であっても、まるで綿菓子、幸福感が大きく膨らむ。
しかし、そんな体質も考えものだろう。
そこそこの歳を数える身になれば、「欠ける箇所」から目をそらさず向き合うことも責任の一端であるに違いない。
責任を果たすとしてわたしにあるのは仕事のみ。
まだまだ至らぬところ、行き届かないところがあるはずで多くの人に恩返しせねばならず、子らにまだまだ快活な背を見せねばならず当初約束したとおり女房をもっと幸せにしなければならない。
さらに一層努力して、心を込めて仕事をしよう。
雨降る街路にてひとり密かにそう決意した。
道すがら名店鳥よしに寄って焼鳥を買った。
家内には楽をしてもらわねばならない。
この日も手軽な夕飯で済ませることにした。
美容と若さの維持には漢方。
そんな話を聞いていると、西大和ママから電話がかかってきて家内の二万語はそちらに向いた。
雨音が強まるなか、家内が楽しそうに会話する様子を横で聞いて不思議の念に捉えられた。
部外者である状態も悪くない。
たとえ草葉の陰にあってもわたしは幸せ。
そう思えた。