祝日の朝、ジムにひと気はなく老夫婦が一組いただけだった。
婦人はただバイクをこぎ、夫はあれやこれやマシンを渡り歩いていた。
婦人はただの付添い、そう見えた。
ひととおりのメニューをこなし外に出るとちょうど真ん前。
その老夫婦が信号待ちをしていた。
仲良く腕を組んでいる。
ついついそこに視線が吸い寄せられた。
もしわたしに娘がいたら。
こんな風に晩年まで仲良く過ごせる夫と連れ添ってほしい。
娘などいないのにそう思った。
だからもしほんとうに娘がいたら切実にそう願ったことだろう。
女子は全員が誰かの娘。
つまり、誰か男子の最愛の存在。
そういう意味で、わたしが眼前にする夫は男子の鏡と言って然るべき存在と言えた。
一緒に信号待ちする後ろから「腕組み」の様子を写メにとり、東京にいる息子に送った。
長男からすぐに反応が返ってきた。
彼が言うには、わたしたち夫婦もいずれそうなるのでは、ということだった。
おそらく画面の向こう、二男も長男の言葉に頷いていたに違いない。
そうそう、仲がいいことは素晴らしい。
君たちもいつかそうなりますように。
そう伝え、付け加えた。
夫婦もそうだが兄弟も同様。
親からすればいずれも最愛の存在。
腕組みまではしなくても、それくらい仲良く過ごしてほしい。
5月3日、うちの家族の惑星直列。
家族で過ごすはずの場所で子らは待ち合わせて一緒に過ごした。
こういう話がいちばん嬉しい。