雨の日が続き、例年よりも肌寒い。
まだ5月なのに梅雨入りだとのニュースが流れ驚いた。
伝えられるところ史上最速での梅雨入りだという。
そんな日曜の午後、久々母の顔をみた。
時間を置いたからだろう。
ずいぶん歳をとった。
そう感じた。
自然、その半生を思った。
身寄りは母親のみ。
ずっと母娘だけの二人暮らしだった。
あるとき、父と出会った。
紺色のスーツはほつれていたが、この人についていくと母は決めた。
わたしの年齢ほども昔のことである。
下町で暮らし、兄弟姉妹、4人の子を授かった。
仕立ての内職をしながら家計を助け、子らを育てた。
4人それぞれに思い出があるだろう。
わたしにとって印象深いのは、阪神受験に通った初日、弁当を持ってきてくれた姿だった。
一年後、大阪星光の合格発表を一緒に見た。
受験番号は570。
今も忘れない。
母はたいそう喜んでくれた。
その後、わたしは上京し一人暮らしとなり、更にその後、所帯を持った。
だから、会う機会は限られたが、会えばまず最初、母が話すことはいつも同じだった。
カラダさえ元気ならそれで十分。
実際、皆の健康以外、母は何も望まないような人であった。
いい歳した中年になってから、全く親孝行をしていないことに気づいた。
また、今更ながら母の好物が寿司だと知った。
だからここ数年は毎月実家に顔を出し、寿司屋に誘ったり、うちの家族を伴うときは焼肉屋にも誘った。
人に良くするだけの母であったから、友だちは多かった。
いつか一緒にご飯を食べているとき、友だちから母に電話がかかってきた。
いま長男の家族とご飯食べてるねん。
そう電話で話す母は幸せそうに見えた。
しかし、一緒に食事する機会もコロナ禍で途絶え、いつしか間が空いてしまった。
一緒にご飯食べてるねん。
そんな機会を増やさねばならない。
そう思いつつ、ざっと母の半生を振り返って、つくづく感じた。
半生といっても、なんとコンパクトなものなのだろう。
ありとあらゆることが詰まった人生のはずが、要約すれば、あっという間。
切ないような思いが拭えない。
別れ際、思った。
母は歳を取ったが、わたしはまだまだ。
このカラダは言うなれば母からもらったようなもの。
大事にしよう。
そう心に決めた。