二つ残っていた豚まんを二つとも長男が食べてしまって以来、二男にとって豚まんは特別の思いを抱く食べものになった。
二男の大好物は豚まん。
家内は気軽にそう捉えているが、思いのなかに含まれる怨念といった要素がこそげ落ちているから単に大好物というだけではまったく足りない。
二男にとって豚まんはいわく因縁の品とでも呼ぶべきものだろう。
そして、嫌よ嫌よも好きのうち。
因縁の品もいつしか大好物というカテゴリーに収斂されて、家内は折々、二男のために豚まんを自作する。
だから、豚まんを作るためのせいろが家にあるのも何ら不思議なことではなく、それが台北を旅した際に買い求められたものだと聞いても、それはそうだろうと何の驚きも感じない。
そもそもソウルを旅して真っ先に買いに走ったのが石焼きピビンバ用の土鍋であり、それを幾つも引っ提げ帰国する器の大きな人間なのであるから、せいろなどフリスピー程度の手軽さと言えるだろう。
前日の昼、家内は思い立って豚まん作りに勤しんだ。
なにしろ二男の大好物。
量産といっていいほどの数が仕上がった。
しかしいくら大好物でも二男ひとりでは食べきれない。
その豚まんがアレンジされて、焼き小龍包となってわたしの夕飯として供されて、まだ余っていたから、隣家にもお裾分けされた。
サイドディッシュは、名古屋コーチンの蒸し鶏がたっぷり入ったサラダ。
こってり人懐っこいような小籠包の旨味とすっきり上品な口当たりの蒸し鶏の風味が、相補い合って絶妙なハーモニーが奏でられる夕飯となった。
そして口直しのデザートはこの日届いたばかりの熊本のスイカ。
もうそんな季節。
数々の夏を思い起こしながら、わたしはその季節の風物詩を噛みしめた。
この夜も口にしたすべてが伝説レベル。
後世に語り継がれてもおかしくない逸品ばかりであった。
数々の食と縁が深まるばかり。
最後の走馬灯では大好物が大行列をなすことだろう。