角を曲がると駐車スペースに若い衆が集まっているのが目に入った。
訪問先にて確認したところ、案の定、彼らが若き事業主たちなのだった。
束ねる親方さんもまだ若い。
故郷を出てひとりで身を立て頭角を現し、数年のうちそこそこのグループを率いるまでになった。
面談して10分。
すぐさま意気投合し、親方さんの息のかかる若き事業者集団をぜんぶひっくるめてうちがサポートすることになった。
彼らは思う存分本業に注力し、堅苦しいような手続きをこちらが受け持つ。
若く熱い息吹が乗り移って、なんだか力が湧いてくる。
寒風吹きすさぶ夕暮れの道を駅へと引き返し、考えた。
わたしは何もせず、手の鳴る方へと駆け寄っていくだけ。
縁が縁を呼ぶこのメカニズムは一体何なのだろう。
世間は厳しく、頑張ったところで鳴かず飛ばずであったとしてなんの不思議もない。
だから、もし一から始めるのだとすれば甚だ心もとなく臆して立ちすくむことだろう。
縁がこの身を支える。
そう助言されたとしても、縁など目に見えない。
屋上で、さあ大丈夫だよと言われたところで踏み出せるはずがないと喩えれば大袈裟だが、状況としては似たりよったりと言えるのではないだろうか。
近鉄電車が阪神電車に乗り入れてから本当に便利になった。
東大阪から乗ってまもなく西宮。
甲子園で降りると大勢の人が球場へと向かいたいそうな賑わいだった。
こんな寒いのに野球の試合があるようだ。
ちょうどラジオを聞いていた。
ニッポン放送ショウアップナイターが始まって今夜のカードが阪神対ヤクルだと分かった。
聴き始めるとキリがない。
そう思ってAMラジオを音楽に変えてバスを待った。
で、一体何が起こっているのだろう。
バスに揺られ車窓の向こうに目をやった。
薄暮に染まっていく街を背景に、小さかった頃の冬の光景が頭に浮かんだ。
うちの祖母はいい人で、母も本当にいい人だった。
かつての実在が巡り巡って「今」に好作用を及ぼしている。
そういうことなのだろうか。
いい人であったとの事実は失われることなく、その名残りが時を超えて実を結ぶ。
つまり、蝶の羽ばたきが巡り巡って竜巻を起こすといったバタフライ効果で説明のつく話のような気がして、わたしは目を凝らしその羽ばたきの軌跡を目で追った。