朝はゆで卵だけで済ませたが昼にラーメンと餃子を食べたので夜は何も口にしなかった。
昼の過食の贖罪として夜を抜いたのは今週これで二回目となる。
夜を抜く、といったことはこれまでなかったことである。
ジム活を日常に取り入れて以来、空腹を満たすという方向性とは異なる別種の性向が生まれた。
いったん極に振れても、ある種の心地良さを維持するためすぐさま修正しようとの意識が発動するのだった。
平日であるからお酒は飲まず、今週は月曜から木曜までノンアルで通すことになった。
ジムが休みの木曜、秋の涼風を満喫しつつ武庫川を走り、昼食のカロリーのオーバー分を燃焼させて、夜、わたしは炭酸水を飲み、軽く夕飯を済ませる家内と向き合った。
バロークスをグラスに注ぎ、つまみとするローストビーフを前に家内が語り、秋の夜長、わたしは家内の思い出話に付き合った。
西宮北口あたりをクルマで通りかかったとき、自転車で並んで走る母子の姿が目に入った。
自身の姿と重なって昔のことが思い出された。
塾へと向かう時間帯はまだ明るいから、息子をひとりで向かわせることもあったが、夜は必ず迎えに行った。
だからこのあたりの夜道はすべて息子らと自転車で走った馴染みの道と言えた。
過去に意識が向かえば、いつでもそこに家内と当時の息子たちの姿が立ち現れ、似たような母子を見かけても同様。
あの頃は毎日が戦いだった。
朝、食事の用意をしてから子どもたちを起こした。
10問程度のドリルに取り組ませ、正解があれば朝からハイテンションで大げさに喜んで、子らを盛り上げた。
そして朝食をしっかり食べさせて送り出し、あっという間に時間が過ぎて、続いては塾弁を用意し学校から帰ってくる子らを迎え何か食べさせてから、塾へと送り出した。
確かにいろいろとたいへんだったが家内は子どもたちとともに楽しく明るく一生懸命がんばった。
思い出話に耽るうち、まもなく時刻は夜9時になろうとしていた。
昔であればそろそろ塾へと迎えに出かける時間であった。
家内はiPhoneを手に、いまは東京で暮らす息子たちに電話を掛けた。
まず二男と話し、そして長男と話した。
ともにいたって元気。
相変わらず身体を鍛え、学業にも力を入れ、折々誘いに応じ友人らとの交流を深めている。
なんであれ積極的かつ勤勉に取り組んで、日々自らを強めて高め、その領域を少しずつ拡張させ続けている。
話が一つにつながってつくづく思う。
そんな在り様の基礎を作った立役者が家内と言えた。
その余録にわたしも与った。
カラダのコンディションを整えるため、夕飯を抜いてお酒も飲まず、夜を過ごす。
昔ではあり得ない。
まるで別人である。
いま、朝起きても家に息子らはいない。
しかし家内は明日早起きするだろう。
肉を焼き料理をこしらえ、クロネコヤマトの発送センターへとクルマを走らせ、二つのダンボールを東京へと発送する。
そうなることは目に見えていた。