博多の寿司と食べ比べてみよう。
そう家内が発案しわたしも賛同した。
近いところで寿司大天が浮かんだので芦屋に向かった。
開店20分前に到着したがすでに列ができていた。
前で待つカップルに違和感があった。
女性がバッチリと決まっているのに対し、四十代半ばと思しき男性の恰好はちぐはぐだった。
普段着を着慣れていないといった雰囲気で、舶来のブランド名が銘記されたシューズなど、いちいちすべてが高価ではあるのだろうが、いちいちすべてがダサかった。
それらしく見せて板につかないから逆効果。
そこはかとなくみすぼらしいといった空気がそこから立ち上っていた。
そして、二人の立ち位置に距離があり会話にも距離があった。
男性は人目を気にしているのか伏し目がちで、一方の女性はまだ若いのに堂々としていた。
その様子から、付き合ってまだ日の浅い不倫カップルなのだと察しがついた。
開店となったが一巡目では席にありつけず、待機席にて順を待つことになった。
寡黙に腰掛ける不倫カップルの隣に座ってわたしたちは今後の旅行についてわいわいがやがやプランを具体化していった。
待ち時間は40分以上にも及び、ようやく隣のカップルが席へと案内された。
そのとき、不倫男性が年配の女性店員の手に何かを載せた。
ゴミクズだった。
年配の店員さんは店内に響き渡る声できっぱり言った。
「ゴミはご自分でお持ち帰りください」
その瞬間、男性自身が衆人環視のなかゴミ認定されたも同然だった。
気を取り直して席に座り、男性は寿司を注文するが、二連発でまたコケた。
ウニもタコも未入荷で、「今日は入ってません」と板前さんに素っ気なく返され、男性はますます身の置き所を失っていった。
慣れないことはするものではない。
そんな好例と言えた。
十代や二十代ならいざ知らず四十を過ぎてこっ恥ずかしいなど、こちらの顔まで赤くなる。
博多の寿司は、素材の味を引き立てて、だから物静かで楚々としていた。
それに比べて大天の寿司は素顔が見えぬほどの厚化粧ぶりで、べたべたといろいろな味がまぶされ、その手っ取り早いような味付け過多はファーストフード的なものと感じられた。
もちろんそれでも美味しいのであるが、そのはるか上があると知っただけで世界観が様変わりする。
ほんとうにおいしい料理には手間暇かかり、それがどのようなものであるのか。
この歳になってやっとわたしたちは学んだのだった。