走って泳いで筋トレし体調を万全に整えてから家を出た。
土曜夕刻、ミナミは人でごった返していた。
行き交う人はほとんどが外国人観光客で、ミナミの盛り場はどこもかしこも人種の坩堝と化していた。
まっすぐ歩くことさえ困難であったから、密集度の少ない路地を伝って急ぎ、それでも5分ほど遅刻した。
店に着くと、テーブルにでんとオールドパーのボトルが置いてあった。
さあ、飲むぞ。
この顔合わせの趣旨が、ボトル一本によって実に明快に表象されていた。
この日、台湾の事業者と会う予定になっていた。
家を出るとき、台湾好きの家内は言った。
必ず仲良くなってきて。
男子がはじめて会って交流する際、お酒が潤滑油の役割を果たす。
向こうもこっちも心得たものであるから、お酒を注ぎ合うごとに乾杯し、お酒が仲を取り持って、出だしから「仲良く」なったも同然だった。
明るく飲んで食べ、なんといいお酒なのだろう。
仕事の話の所々に身の上話も差し挟まって、一気に旧知の仲にまでわたしたちは至ったのではないだろうか。
なんでそんなに日本語がお上手なのですか。
聞けば、母親が日本語の通訳をしていて、物心ついたときから日本語を叩き込まれたのだという。
そして互い、子どもの話になって彼は言った。
日本でちまちま勉強させるより、アジアで起業させた方が絶対いいですよ。
今しがたミナミの活況をわたしは目にしたばかりだった。
日本に活気があるのではなく、向こうで湧いて溢れる活気がこっちにまで押し寄せてきているというのが真相であるから、なにか企てるなら向こうで、と考えるのが順当な話と言えるのだろう。
あれこれ仕事の話をし、将来についても語って店をはしごした。
名残を惜しむようにミナミで握手し、にこやかわかれた。
これがきっかけとなって何かが新しくはじまるのだろうか。
いずれにせよ、近いうち、家内を伴い台湾を訪れよう。
そう胸を膨らませ、通りかかったタクシーに手を挙げ乗り込んだ。
運転手はわたしと同じくらいの年恰好だろうか。
ガタイがいいから聞いてみた。
やはりラガーマンだった。
筑波大学の選手だったとのことで、早稲田や慶應相手の対抗戦の話などあれこれ聞いているうち、あっという間に自宅に着いた。
なぜいまタクシーの運転手をしているのですか。
それについては聞き出すタイミングを失ったまま、わたしは台湾みやげの茶袋を握りしめ、静かに灯る家の明かりのなかへと帰還した。