旅先だとたいてい横に女房がいるから、好き勝手に食べるといったことができない。
そして家内のあとについてひたすら歩く。
結果、おいしいものを食べたところで量も回数も知れているから体重が落ちることになる。
大阪だと単独行動になって、わたしの本性が奔放に解き放たれる。
いま韓国からの旅行者にとんかつが大人気だと聞いた。
それでそこかしこ韓国人旅行者がとんかつ屋にて列を成す。
だからどれどれと朝食にとんかつを選んだ。
牛丼チェーン店のとんかつであるが、とんかつはとんかつ。
いやあ、うまい。
まもなく昼になってお腹が鳴った。
先日の新聞に餃子の王将の快進撃が止まらないとの記事があった。
王将の粋を結集した鉄板が開発され、餃子のおいしさが格段に増した。
それで餃子の王将がこのところ大人気なのだという。
どれどれ、とわたしは餃子定食をにんにくマシマシで頼んでみた。
いやあ、餃子が白飯にとてもよく合って実においしい。
それでふと考えた。
とんかつにしても餃子にしても日頃それらを心からおいしいと思うことは滅多にない。
どうやらわたしはそれら食べ物に付随する物語の方をありがたく味わっているようだった。
つまりとんかつや餃子といった品書きの方ではなく、「韓国人旅行者に大人気」といった話や「粋を集めた鉄板」といった口上によって期待が膨らみ、いつにも増して味覚がおおらかになっているとしか考えられなかった。
なるほど、人は物語の中を生きている。
物語を通じて事物を理解し味わい、物語の先の先を夢見て生きている。
つまりわたしがあれもこれもと食べるのは物語を求めてのことだったのだ。
しかしそうであったとしても欲張って食べ過ぎた。
が、悔いたところで仕方がない。
それら物語を実のあるものにすればいいのだと、わたしは仕事を終えてジムへと赴いた。
全力で泳いでせっせと筋トレに励んだ。
白飯もとんかつもその衣も餃子も味噌汁のわかめもすべてそれら物語の断片を自らの血肉に変える。
そんな意気込みでハードにカラダを鍛えに鍛えた。
そして思惑どおり、朝と昼に摂取した物語たちはわたしのカラダを構成する一部となった。
1キログラムの体重増がこの物語のエビデンスだと言っていいだろう。