家内が店を選んで電話をかけた。
すでに満杯だと断られたが、それでひるむ家内ではなかった。
向かった先は町を外れた山間の地にあった。
辺鄙とも言える場所なのに満杯なのであるから、美味しいに決まっていた。
店の脇になんとかスペースを見つけクルマを停めた。
家内が店へと入っていき「兵庫県から来たんです」と掛け合った。
それでほんとうに何とかしてくれたのだろう。
しばらく待って案内されたのは奥の座敷だった。
二人で食事するには広すぎた。
特等席と言えた。
おすすめの品を聞いて家内が地鶏とステーキを注文した。
店員さんはどなたもとても親切でお綺麗だった。
やはり息子の嫁は九州の女性がいいのでは。
そんな話をしているうちに料理が運ばれてきた。
家で普段通りの週末を過ごしていたらこんな美味に出合うことはなかっただろう。
いままでの人生は何だったのか。
そう自問しつつわたしたちは肉を追加した。
やはり閉じこもるのではなく外へと踏み出す。
外へ出ればこうした出合いに恵まれて、さあ次はどこに行こうかと内に意欲がみなぎりわたる。
昼食を終え、続いてわたしたちは霧島神宮を訪れて手を合わせ、野鶴亭で温泉につかって日常の澱をきれいさっぱり洗い流した。
心身清まって陸路にて桜島へと入り日没前に展望所から薩摩の地を眺めて秋の風に吹かれ、フェリーを使って市街地へと移動した。
ホテルは過ごしよく、夕飯に選んだ店もまた大当たりだった。
昼食同様、まずは満杯と断られたが、席が空いたら連絡くださいと一縷の望みを託した。
だからホテルラウンジでは何も口にせず、念ずれば通ず、幸いなことに席が空いたとの連絡が入った。
そしてこの焼鳥もまた強烈な印象を残すことになった。
これまでの「焼鳥観」を覆すほどの美味しさで、こんなものを薩摩隼人は普通の顔をして食べているのかとわたしたちは舌を巻きつつ舌鼓を打った。
ああ、やはり。
旅すれば素晴らしい。
食後、城山公園の展望台から市街を見下ろして過ごし、部屋に戻って5階が温泉だったから一日の最後もまた湯につかり、結果、これでもかというくらい内に巣食っていた日常の澱は根こそぎとなった。