鹿児島空港のレンタカー屋でカローラを借り、錦江湾に沿って時計回りでクルマを走らせた。
この一泊二日の予定の骨子は前夜になって決めた。
土曜に霧島温泉に入って、日曜は指宿温泉。
そう予定の柱を据え、宿は中間地点となる市内のシェラトン鹿児島をおさえた。
あとは流れのまま食事処を定め楽しむだけ。
ハンドルを握って痛感した。
どこからでも桜島が望める。
ここで育てば桜島が人格の主要素を形成するに違いない。
うちの息子たちは西宮で育った。
暮らしのなかどこからでも甲山が覗き見えた。
つまり、薩摩隼人にとっての桜島は宮っ子にとっては甲山。
そうなぞらえることができるのではないだろうか。
実際、息子たちにとって甲山は特別な存在で小さい頃から慣れ親しみ、目にすれば彼らの胸に帰郷したのだとの感慨を湧き起こさせる。
ただそのスケールで標高309mの甲山は桜島には及びもつかない。
しかも後者はいまもときおり噴煙をあげる活火山である。
クルマで走りに走って、そんな桜島が目に焼き付いた。
つまり、この地の魂がわたしの胸にも刻み込まれた訳である。
当然、一泊二日分だけわたしも薩摩隼人になったと言えるだろう。
さあ、月曜日。
即席の薩摩隼人が業務に勤しむ。
よい週末を過ごせば、それが仕事にプラスの作用をもたらしてくれる。
そういう意味で週末の遠出もまた広義の仕事と言え、だから仕事が面白いといった地平が切り拓かれることになる。