KORANIKATARU

子らに語る時々日記

中学受験は酷だからこそ。


たまたま食事の場で同席した方から終わったばかりホカホカの中学受験の話を伺うこととなった。
医師であるその方同様に息子も優秀。

複数合格を得て中学受験は早々に片付きどこの学校を選択するか家族で最終の話を行うだけ。
そのようになるはずであった。

ところが、波乱が起きる。
十中八九通るはずであった最難関の一角に落ち、そして残りの一角にも落ちた。
あり得ないことであった。

呆然となる。
想定外であり慌てて滑り止めの手配をしなければならなかった。
ただじっと座っているだけなのに奥様の頬に涙が伝って止まらない。

入試の結果を見ると国語が大崩れしている。
子に確認すると、テスト中「文章が全く頭に入ってこない」ということであった。

極度の緊張によって、「文章を読む」という当たり前の行為に、ブレーキがかかってしまったようだ。
このままではこの先も危うい。

そこで父がマンツーマンで国語の指導に取り組んだ。
小手先の心構えなど言い含めても状況は悪化するだけだろう。

そこで、父は子に伝えた。
設問から読もう。これなら数行だから力むこともない。
それで意味の分かる問題だけに取り組めばいい。

いきなり文章から入って自己を見失うよりは、設問から入れば問題を解く当事者となりやすい。
「読む」のではなく、設問で聞かれたことを羅針盤に答えを「探す」といった切り口で迫れば「忘我の状態」は防げるはずだ。

それが功を奏した。
最終的には、当初受けた学校に引けを取るところ何一つない名門の合格を得ることができた。

父のもとメールで吉報が入る。
診察室で次の患者が入る直前、込み上がってくる涙をこらえる。

息子は合格発表会場で母に言ったそうだ。
喜ばないで、他に落ちた人もいるのだから。
たったの一週間で見違えた。
痛みを知る優しい男となった。

通過儀礼だとしても精神的にあまりに酷で、こんなつらい一週間はこれまで味わったことがない。
家族一致の感想だという。


我が家は中学受験の中休みでありその臨場感を忘れていた。
いよいよ6年生の授業が始まる。

友人の娘さんが通う最大手の教室ではいきなり6年生のクラスで、生徒が7人も姿を消した。
友達同士だったはずが、何も言わず他所の塾へ移ったということだ。
一年後にやってくる重圧の一週間に向け最善のスタートが切れるよう、どこの親だって苦心惨憺あれやこれや手立て講じるものなのであろう。

我が家の二男も新編成の負荷最強クラスで一年のスタートを切った。
プレッシャーを持ちこたえようとするその横顔に励ましの言葉を伝えるが、ついアスリートの名前が出る。

マー君がいるし、本田圭佑がいる。
誰だってチャレンジャーだ。

いまやアスリートのヒーロー性は子らのモチベーションに欠かせない。

テレビつければ誰も彼もが内輪話でヘラヘラし、かつらかぶったおっさんが偉そうに一家言ぶっているかと思えば、コメンテーターは高みからあれやこれやを冷笑し他人の熱意に水を差す。

真っ直ぐ前を見る、子供たちにとってそのようなお手本となる人物はそう簡単に見つからない。

スポーツの世界であっても、ひところ前は本当に頭がパーなのかと眉ひそめたくなるような選手も目についたが、野茂やイチロー、中田が出現し、その頃から状況が一変した。
超一流のアスリートであっても、まだその先がある。
その先へと進む彼らが身をもって何か強く響くものを教えてくれる。

真剣勝負する人物だけがリスペクトの対象となる。
子らは真っ直ぐそのような人物の背中を見ている。


いっとき訪れた暖かみが冗談みたいに雲散霧消し、ここ数日厳しい冷気に包まれる大阪である。
長男二男と調子を崩し水曜夜にそれがちょうど私に伝わった。

寒気と胃に生じる違和感をこらえつつ阪神尼崎の名店、志津鮨へ向かう。
以前の店舗は火事で焼けそこはいま駐車場となっている。
前を通り過ぎるとほどなく新しい志津鮨が姿を現す。

以前よりも広く綺麗になった。
そして、料理はもちろん素晴らしく、おもてなしとはまさにこのことを言うのだと食の満足感に浸ることができる。

常連の岡本が今度うちに最上等のワインを持って来ると約束してくれた。
隣に座る谷口にケンブジッリのアデンブルクス病院勤務時代のアルバムをうちの子に見せてくれと強く催促すると、彼は頷いてくれた。
これはつまり約束してくれたということであろう。

そのようなアルバムからも、バトンは伝わるかもしれないのである。


木曜明け方、苦悶で目覚める。
長男は自然治癒し、二男は鷲尾耳鼻咽喉科で処置を受けた。
いよいよ私の番である。

風邪などひかない身体となっていたはずであった。
数年前に一度ふつか酔いで寝込んだ以外、朝寝坊することすらない。

起き上がるのに困難を感じる。
1月までの激烈な忙しさが止み、隙が生じたのだろう。

仕事の約束がある。
這ってでも行かねばならない。

その日は電車で行くつもりであったが、公共の交通機関を使うのが躊躇われる症状であった。
催した場合、こらえようも、手のうちようもない。

クルマを駆って、何とか事務所に辿り着きのたうちながら書類を仕上げ、出かける用意を整える。
しかし堪え切れず家内に連絡し早く来てくれ運転してくれと頼み、一方で、田中内科クリニックの田中院長にメールし症状を伝えた。

コートにマフラー、ニット帽にマスクという異様な出で立ちのまま午前中の用事を片付け、田中内科クリニックで助けを求める。
不思議なもので仕事で気が張ったせいか症状が和らいでいた。
田中院長の診察を受けつつ、もう治ったかのような気となってくる。

処置に従い点滴を受け、処方されたクスリをすぐに服用する。
苦しみが更に和らいだ。
調子にのってそのまま八助に向かい家内と鍋焼きうどんを食べ、そこでもクスリを飲む。
身体に巣食っていた違和感が極小となっていく。

もちろん家に帰ると気が緩みそのままベッドに倒れこむこととなったが適切な処置を受けたからこそ、たった一日でほぼ回復しゆっくり目ながら金曜業務を普段通りこなせている。

「苦しい時の友こそ、真の友」であるならば、我ら星のしるべについては、真の友だらけということになる。
誰かの力になることができる、これ以上人間冥利に尽きることはないだろう。

私はといえば感謝のしようもないほど毎度毎度助けられてばかりである。