1
事務所の掃除を終え電車を乗り継ぎちょうど正午、東生駒駅に到着した。
霊園に向かう送迎バスの乗り場に列はない。
お墓参りのピークは古くからのしきたり通り明日の秋分の日なのであろう。
空は晴れ渡り日差しが強い。
運動会など秋の催しにはもってこいの好天だ。
バスに運ばれ霊園に向かう。
座席の後ろにはネイルサロンの経営者と思しき姉妹が座っている。
接客や予約の要領などについて不出来な従業員のことをこっぴどく酷評し合っている。
従業員にどれだけ恐れられているか互いに自慢し合うような話が続く。
本気で切れて怒って誰それを退職に追い込んだ。
嫌われてこその経営者。
嫌われるのも楽ちゃうけどな、あっはっはっは。
中年太りしたおばさんらの笑い声が至近で響く。
頭蓋を鈍器で叩かれるようなものである。
従業員を締め上げるといった話は、大阪ではありふれている。
このバスに乗らずとも、町の喫茶店、サウナの休憩室、商店街での立ち話、飲み屋のカウンター、市井のどこでもいつでも繰り広げられる大阪ブラック商人の類型的な話のひとつである。
2
墓参りに向かうバスに揺られつつ、今回は趣向を変えて、自分がその墓にすでに埋葬されているのだと想像してみる。
墓に向かっているのは孫の世代の誰かであり、祖父にあたる「亡き私」のもとをいまその誰かが訪れようとしている。
そう思い込もうと試みる。
窓外を眺めながら、これを見ているのは誰なのか、私はもういない設定であるから目に入る景色を他人事のようにして見る。
数十年前から目に馴染んだ光景はいまも変わらず、今後もこの現在形のまま、他の誰かの目を通じてもさして変わらぬものであり続けるだろう。
想像の世界と自意識を行きつ戻りつしていると解放感のようなものが湧き出してくる。
自分がいようがいまいが、確かな手触りで厳然と世界は存在している。
自分のことだけで頭がいっぱいとなりがちな日常の窮屈さを思い知る。
在ろうが無かろうが、巨視的に見ればわたし一人など勘定のうちにも入らない。
宇宙からすれば塵芥にも瞬き一つ分にも及ばない。
祖父母が去って、シルバーウィークがいつの間にか過ぎ去ったように、いずれ父母も去り、私も去っていくが、何事もなかったように、微動だにせず眼前の光景はそのままあり続ける。
巨大なスケールの中に置かれた人間一個の呆気のなさが、何とも清々しい。
3
おそらくは数十年後、もしかしたら意外にもっと早く、私が入ることになるお墓の前に立つ。
手を合わせて、ひしゃくですくって墓石にたっぷり水をかける。
線香をあげる。
墓石を眺めて思う。
要は、これだけのことなのだ。
日常においてあれこれしたところで、振り返って見れば、いくつかの断片しか記憶には残らない。
時間を前にしてはたいそう分厚く感じるが、時間を後にしてはそこにその堆積を感じることはない。
前後の非対称性から時間というものに実体はなくある種の概念のようなものだということが分かる。
終わった後になってから、単なる概念なのだとその正体を明かす。
一言で片付く。
あっと言う間のこと。
そして、最後に墓石という「しるし」ひとつに集約される。
墓参りによって、自身の時間尺が修整されるかのよう。
これもまた清々しい。
4
個人的にはいろいろなことが叶ってきた人生であったと言えるだろう。
しかし、これが叶えば幸福だと切に願って実現したところで、それで幸福に満たされたという訳ではなかった。
せいぜい、幸不幸の「拮抗状態」を維持してきただけのように思える。
欠けたる所のない幸福など観念的なものに過ぎず、気を抜けば平衡が崩れ不幸のドツボに陥る、そういった現実の中に置かれているというのが本当のところだろう。
そう気付いてしまうと、幸福になるため次はこれを叶えようあれを叶えよう、という道筋は不毛のように思えてくる。
幸福のようなものについては、大抵のことはすでに経験済みであり、更に求めたところで過去の似たり寄ったりを上書きするか焼き直すだけ、長いスパンで考えれば、十回も百回も誤差みたいなものであり所詮は等価というような気がしてくる。
もちろんだからといって幸福を軽視できるわけもなく、幸福でありたいと望むことはやめられないであろうし、子らの先々についてもその暮らしが幸福なものであって欲しいと望むことも変わらない。
墓参りを終え一人車中の人となって引き続き物思いにふける。
生駒駅で大半が降り、普通電車はがら空きとなった。
何かに気付けそうな気がしてさらに沈思するがやはり核心には届きそうにない。
乗り換えの際、杖を忘れたご婦人がいて、それに気付いた青年が慌ててその背を追いかける。
快速電車が出るすんでの所、青年は無事そのご老人に杖を手渡すことができた。
にこやか笑顔で背年が普通電車に戻ってくる。
この話を私が日記に書くだけでなく、青年は青年で家族やら友人やら恋人にこの話をし、ご老人はご老人でこの青年についてまさに話題はこればかりといったくらいの勢いで数日間は話し込むことになるだろう。
5
普通電車が快速電車の後に続いてゆっくりと生駒駅のホームを出る。
どうやら、幸福というものは追って求める対象ではなく、時折ふとその姿を見せてくれる、そういった類のものなのだろう。
時間と同様、幸福についてもそれを前にしては具体的な像を伴って実体があるように見えるけれど、後で振り返れば虚像のようなものを見ていたのだと気づくことになる。
例えばいい大学に入れば幸福になる、いい会社に入れば幸福になる、いい資格を取れば幸福になる、いい女性と結婚すれば幸福になる、と思い込みがちだが、実現してしまえば、幸福はいずこへ、それ自体だけで幸福であることなどあり得ないというようなことである。
すぐに次の時間が押し寄せてき、まるで波乗りするかのごとく、次なる幸福を見定めて時間をかいくぐっていくというような繰り返しとなる。
だから期待外れだと意気落とさぬよう、あらかじめ追い求める対象としての幸福など存在しないと心得ておくことが大事なことになる。
時間の波乗りは、死をもって終焉となる。
これはこれで安らかなことであろうが、それまでは、大奮闘するしかない。
懲り懲りだと自らリタイヤすれば、おそらくはあらゆる宗教の言い伝えの通り、波の渦に飲まれ続けるような永遠の苦しみに留め置かれるようなことになるのだろう。
これは怖い。
6
つまりは、要は奮闘せよ、ということなのだろう。
幸福についてのセンサーのようなものが、人それぞれ百人百様のチューニングで備わっているのであろうと想像する。
だから、人によって幸福の立ち現われ方は別様で、感知の仕方も、感度も異なる。
が、おそらくは、食って寝て遊んで楽をするといったことに強く反応し続ける風にはセンサーは仕組まれていないように思える。
その証拠に、遊んでばかりいると楽しいどころかその無為に絶望的に暗い気持ちになっていく。
ちょっと大変だけれどといった奮闘余儀なくされるような事柄に関係して、センサーはビビッと反応し充足感のようなものをもたらすよう設計されているのではないだろうか。
ちょっと大変だけれどといったことに取り組み、それを世代間で託し受け継いでいくといった連続的な流れが人類にとって善なるものとして定められていて、それに沿えば幸福が現れ、外れれば沈痛となって気分優れない、といったようなことなのかもしれない。
だからこそ、私たちはお墓に向かい心からの労いと感謝の念をもって手を合わせ、その一方で、愛情たっぷり子らを叱咤激励し、自らを鼓舞する。
これらはヒトつながりの、同じ事柄の違う側面といった行為なのであろう。
7
途中、鶴橋でスパに寄り、事務所に戻ったのは夕刻。
夕飯には少し早いが、昼を食べていないので空腹が耐え難い。
野田阪神の北京飯店に寄り、餃子と酢豚を頼んでビールを飲む。
ここの餃子は病み付きになる。
昼を抜いた分、旨さ倍増。
ああ、幸福だ。