正月二日目も新春を寿ぐかのような日本晴れに恵まれた。
日差し柔らか穏やかな陽気のもとクルマもまばらな阪神高速を生駒方面へとひた走る。
息子二人を引き連れての墓参りである。
スムーズな流れに乗って半時間ほどで山上の霊園に到着した。
父母、弟らと合流し当家の墓へと向かう。
みなで手分けし草をむしって墓石を磨く。
お供えを並べ線香をあげ手を合わせる。
青々と空が澄んで、空気清らか。
心まで洗われる。
墓標に刻まれる祖父母らの卒去の日付を見て当時を振り返る。
前後の記憶まで鮮明だ。
墓参りの度思い出すので記憶の褪せることがない。
その労苦を思い頭が下がる。
屈強不屈の魂に見守られていると思えば心強い。
ひとときそこで過ごし、この一年も無事大過なく過ごせるだろうとの確信を得た。
墓を後にし阪奈道路を大阪方面へと下る。
後ろに弟の運転するクルマが続く。
しばらくずっと前後連れ立つ形になる。
信号待ちのとき、子らが振り返って手を振って弟も手を振り返した。
わたしはそのシーンを目に焼き付けて、子らに言った。
一場面一場面が大切で何気ない瞬間のやりとりがずっと胸に残ることになる。
息子らと会話しながらクルマを走らせる。
中央大通に差し掛かり、弟のクルマとは進路が別になって手を振って別れた。
わたしの記憶に残る祖父母の生き様の断片を子らに語って聞かせる。
生きることは苦しみだ、そうブッダは言ったがまさにそれを地で行くような人生だったのではないだろうか。
しかしそれでも生き抜いた。
当時誰もがそうであったように倦まず弛まず働いて、家族を養い子どもを育て上げた。
苦難の連続だったからこそだろう、わたしたち孫は目に入れても痛くないというほどに可愛がってもらえた。
だからもし君たちひ孫の姿を目にすれば、顔をクシャクシャにほころばせ大喜びすることは間違いない。
誰であれ人は思い出されるべき存在であり語られるべき何かである。
だから死ねば弔い墓を設ける。
魂といったものが実在するのかどうかは知らない。
ただ誰にでもルーツがあって、人は大昔からそのルーツに魂を思って手を合わせ続けてきた。
もはや姿形もない人に手を合わせるなど非合理だと捉える向きもあるだろうが、そんなことは問題ではない。
先祖との交流に屁理屈の入る余地はない。
墓を守って墓参りを欠かさない。
これはそのルーツとの暗黙の約束事のようなものである。
後に続く者としてその役目を担うのは人として基本中の基本であって、その当たり前が果たせないとすればその者は社会的にも何ら責務を負う存在には成り得ないだろう。
そのように会話しているとあっという間、義父母の家に到着した。