耐寒登山の日、バスが遅れた。
出発予定から一時間が過ぎようやくバスが現れた。
あらかじめ知らされていたバス会社とは異なるバスであった。
何かあったのだろうが詳細は分からない。
明け方は冷え込んだが日中は陽気に恵まれた。
二時間かけて登った。
しかし、下山は六分。
バスの遅れが祟った。
予定通りの解散時間とするため、下りについてはケーブルカーを利用せざるを得なかった。
もちろんその方が楽ちんなので、みなは歓喜した。
夕飯の際、そのような話を聞きつつ、わたしは似た話を思い出す。
つい数日前のこと。
日曜日のサウナでの話だ。
それを二男に話す。
日曜の午後、サウナに入る客は少なかった。
わたしと年配の方の二人だけであった。
かなり冷え込んだ一日であったのでサウナの熱が心地いい。
ほどよい熱に心身ほぐして静かに座っていると、年配の方が話しかけてきた。
わたしがかたぎには見えず、怖い人かもしれないと迷ったけれど、引退してからは人と話すよう心がけている。
失礼かとは思ったが、これも何かの縁、ひとときお付き合いくださいな。
下町にあって、その方の口調は紳士的であった。
礼をわきまえた言葉遣いからきちんとした素性の方であると窺えた。
現役は引退したが七十を目前にしていまもなお働いているという。
お金が目的というよりも、人との交流が生きがいなので、仕事をやめようとは思わない。
いまは製造業の社屋の巡回などをしている。
週に三、四回のアルバイトだが小遣いとして悪くない額になる。
現役時代は建設の仕事に従事していた。
現場からの叩き上げで、最後には常時二十以上の現場を統括する立場になった。
人使いの荒いぶっきらぼうな世界であった。
トラブルは絶えず、寝ても覚めても現場のことが頭から離れることのない神経はりつめる数十年だった。
よくもまあやり抜いたもんです。
手応えがあったんでしょうね。
ここまで話を聞いて私は暑さが耐え難く、いったん水風呂へと避難した。
おじさんも私と同時サウナを出て、一息入れる。
そしてまたサウナで合流。
いまの会社にも若い者が大勢いるが時代は変わった。
礼儀知らずが多くて目に余る。
しかしバイトの身。
何か言えた立場ではない。
そうでしょうね、と私は相槌を打つ。
ご年配の方がいて、その精神が山越え谷越えした道のりを思って敬意払うなど、そんな気の利いた若造など極小であろう。
お察しします、と私は言った。
そうやって世の中を見続け愚痴も言いますが、いまは総じて気楽なもんです。
年金があってバイトの給料が入る。
月々の払いを終えて、女房に三分の一を渡し、娘夫婦に三分の一、そして、残り三分の一はわたしが自由に使います。
同居している娘夫婦に気を遣わせないようこの近くにマンションを買ってその二十二階に住んでるんですよ。
家と行ったり来たり。
たまに働いて、たまにサウナに入って、夜は一杯飲んで過ごします。
そのおじさんの平穏な毎日が目に浮かぶ。
経済的に何も困ることのない立場でもあるようだ。
場末のサウナであるが、人それぞれ。
お金に窮している人もあれば、その一方、きちんと勤め上げ蓄えて余力ある人もいる。
二男にそこまで話し、わたしはハイボールをお代わりする。
テレビでは歌謡番組が放送されていて、懐メロが流れ続けている。
谷村新司と坂本冬美がいい日旅立ちをデュエットしている。
奇跡とも言っていいほどの名曲だとじんとする。
その昔、歌はいい日本語に彩られていた。
サウナで聞いた話と今日の耐寒登山の話はそっくりだ、とわたしは二男に言う。
その方についてはバスが遅れる程度のことは数えきれぬほどあったに違いない。
そして登り切って、いまは優雅に下山の最中というところだろうか。
あっと言う間の六分かもしれない、でもその六分は絶対に幸福な時間であった方がいいよね。
父子二人、食卓を挟んで頷き合った。