KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ここだけの話2

本業において役割分担が変わり、いよいよ自らアクセル踏まずとも済むような立場になったとき、特に熱望して取り組みたいことが他にある訳でもないので、おそらくは日記に割く時間が増えるのだろうと思う。

現場一線を離れ自らを振り返る際、現在続けている日記は記録として大いに役立つであろう。
自らがした数々の記述を起点に考察を更に深め内容を刷新させたり、あるいは走り書き程度の記載が物足りず、本腰入れて書き足したくなるような箇所を多々見つけるということになる違いない。

その意味においてこの日記は、先々に向けての持って回ったような楽しみの預貯金の役割を果たしていると言える。

いつか子らが読む。
当初念頭に置いたそもそもの目的ももちろん変わらない。

映画「ニュー・シネマ・パラダイス」のラストシーンのように、わたしにだって何か残せるものがあったっていい。
子にとって赤面噴飯となる記述もあるであろうが、たとえそうであっても何か少しでも感じ取ってもらえる箇所があるのであれば、男親冥利に尽きるというものだろう。

つまり、かなり気が早いにしてもこの日記は死に支度の一環という役割をも担っていると言える。

実際、いざという時に直面した際、伝えたかったあれやこれやは、すっかり全部日記に書いてあるということになる。
その場面で悶絶しつつ言葉にせずとも、日記を読めとだけジェスチャーすれば済みわたしは心晴れ晴れ潔い思いで死路へと旅立てる。

更に付け加えれば、この日記は友人らとの交流を深める良き触媒の働きを為し、かつ、人物列伝としての側面も有する。
書かれなければただ忘却の彼方へ消え去り、無かったも同然となる事柄のうちのいくつかはここに書き留められ後々まで残ることになる。
頁めくりのイラストのように日記をのぞけば常時誰かが躍動している。
そのような日記なのである。

お天道さまのもと開け広げで記しているが、その方が正気を保って書くのにうってつけであり、敷居がないのは、いつでも気軽に誰もが寄ってくれればと思っているからである。

だからこのままの仕方でずっと続けていくつもりである。
しかし、ただ一点だけ気がかりなことがある。
一度は回を割いてそれに触れる必要があるだろう。

書いた内容の帰責についての話である。
当然のことではあるが、書かれたすべて一切がわたしに帰責するということを念の為ここで確認しておきたい。
わたしが書いた内容に関し、わたしの身内は誰一人として全くもって責任がない。

だから、いつかわたしと直接会うことがあったとき、ああでもないこうでもないと面前にて取り上げてもらう分には何ら差し支えはないが、身内に対しこの日記について触れるようなことについては、そもそもがお門違いなのであるからどうか勘弁願いたい。

道半ばなのであり要はここだけの話。
もしやと心当たりあればなおさらのこと、相手によっては日記のことなど当分のあいだ伏せて内密にということでひとつよろしく。

唯一気がかりであったことについて触れ今日はこれで締めとしたい。

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