閏日となった29日、6時間ずつを4年分貯めたおまけのような日であるので、最初からなかったも同然、自由気ままに過ごそうと思い描きはするものの、やはり自由は空想のなかにしかなく、現実においては何の変哲もない平日労務に勤しんで、あっという間に夕刻となった。
帰宅し家事が一段落するのをぼんやりと待って家内と連れ立って走る。
長男からメールが届く。
彼はカナダ現地校ラグビー部のエース。
その自称エースが地元の大会に出場するという。
観戦したいという気持ちより先に心配が先行する。
ラグビーの危険性について夫婦で話し合う走りの序盤となる。
が、走れば気分が良くなって、あいつのことだきっと大丈夫、潰そうと束になってもユーモアたっぷりなんとか難をくぐり抜けることだろう、と次第次第に気が強くなって楽観が上回る。
それに毎日を楽しんでいるようであるし、伝え聞くところラグビーつながりで歴代留学生のなか屈指の適応を見せ学業においても持てる力を存分に発揮しているということである。
ピッチが上がり会話が弾む。
やはり人には走りが欠かせない。
にわかランナーはそう強く実感する。
帰宅し風呂を上がり、さあ食事と意気込むが、試験勉強中の二男が食卓を占領している。
邪魔せぬよう、離れ小島みたいに小さなテーブルをリビングの端に置きそこに一人分の食事を並べる。
スープを含めこの日もズラリ五品以上が所狭しとひしめき合う。
肉があって魚があって野菜がある。
あぐらで座って神の河のソーダ割りで晩酌を始める。
不思議なことであるが、いつもと異なる仕方で食事すると同じ家の中なのに世界が違って見える。
小さな卓袱台に向き合っていると、寸法比で自身が大国となったかのように思えてくる。
自然と肩で風切るような勢いで料理を平らげていくことになる。
熱々スープをすすって全身温まり額に汗がにじみ始める。
上半身肌着一枚となる。
ちょっとした荒くれ者となったような気がしてくる。
ここに男、あり。
この食事風景を一言で表すならそのようになるだろう。
一家に一台。
かつて頻繁に使われ今では死語となった言い回しであるが、まさにこの図においてはそれ以外に言いようがない。
家に男があってこそ。
卓袱台で肌着一枚の男があぐらで酒飲み飯をがっつく。
通りかかった魔物憑物みな尻尾巻いて逃げ出すことだろう。
これで大の字横になれば、寝姿としてこれほど様になるものはなく無頼漢も完成形というところであったが、食べ終わればさっさと片付けるよう一喝されて、最敬礼。
ははっただいま、とそそくさ食器やらを両手に抱えシンクへと運び、ごめんやしておくれやしてごめんやっしゃ、とヘコヘコ自室へと退散したのであった。