KORANIKATARU

子らに語る時々日記

子どもほど大切な存在はない

家に強く凛々しい光が灯る。
男子を授かったとき、そう言われた。

まさに言葉どおり。
小さなその灯は時に手がかかるほど賑々しい光を放って、家のみならずわたしたちの心すべて、さらに前途をも照らすような存在となった。

個という単位でしかなかった暗がりが幕を閉じ、人生の次なる一幕が始まったようなものであった。

家に帰ってそのあどけない顔を目にする以上の喜びはなく、もちろん家だけではなくどこにあってもその面影が目に浮かんだ。
電車に乗って手持ち無沙汰なとき、子の写真があれば時間を持て余すこともなくなった。

長男と二男、ダブルのライトで我が家は照らされた。

見る間に成長し、幼子から男子の風貌になっていくにつれ、彼らがこの世界で体現するために引っ提げてきた何か、内に秘められ開花の時を待つささやかな何かがチラと垣間見えるように感じられた。

可愛いだけではなく、一人の確たる人物としていつかは一目置くべき存在になっていくのだという予感は深い喜びを伴った。

我が家に灯る光は強さと明るさを増し続け、なるほどこのように何一つ思い残すことなく新旧交代が果たされるのだと自身の役割が清々しいような思いで理解でき、それを幸福だと思った。

だからもし万が一、その灯がもう戻らない、もう二度と会うことが叶わないとなれば、その喪失感は何をもってもあがなえるものではない。

悲しいとか苦しいとか、どんな言葉を探してきても用をなさない。
その失意は言葉にしようがなく、何をどうしようとその空虚は埋めようがない。

今日、高一が海外研修のため関空から飛び立った。
3つの班に分かれ、アジア各国を旅する。
長男はベトナムとカンボジアを訪れる。

朝、クルマで長男を送りながら、今回の事故で亡くなった中3の少年について言葉を交わした。
皆から愛される人気者の少年だったという。

その様子を聞けば聞くほど、息が詰まってこらえ難い。

なんてことなのだろう。
あってはならないことである。

現地で同行していたと見られる男性は女児を授かったばかりの若きパパであったようだ。
ステイ先の一つに選定されたのだから善き人ではあったのだろうと思う。
遠い国からの来訪者に良くしてあげようとの好意は疑いようもないが、二人揃って亡くなったという結果が痛ましく、ただただ痛ましく絶句するほかない。

ずっと沈黙のままクルマを走らせる。
目的地に到着し、じゃあなと手を振り長男の背を見送った。

帰途の車中、数日前の光景を振り返った。
先日、長男が誕生日を迎えた。
特注のバースデーケーキが用意されていた。

各自予定を終え、夜のリビングに集まった。
二男がろうそくに火を灯した。

彼らがチビっ子であった当時から全く変わらぬやり方で、バースデーソングを高らか家族で合唱した。
長男は照れくさそうにしつつも、笑顔満面。
ろうそくの火をひと呑みするように吹き消した。

拍手とともに、リビングに光が戻った。
そのとき、そこに、子らの姿があった。

わたしたちがこの舞台を去ったとしても、世界からこの光景が失われることはない。

祝日の朝、初冬の空は目に沁みるほど美しい青に染め抜かれている。
その空のもとクルマ走らせ確信を強めた。
子どもほど大切な存在はない。