急遽、長男をラグビーの練習場に送り届ける必要が生じた。
即座、家内がクルマを発進させる。
遠く大和葛城の山間の道をハンドルさばき巧みに縫って走って長男をピックアップし、そして今度は返す刀でエンジン吹かせて山から海へと突っ切って神戸湾に浮かぶ人工島までひとっ飛び。
家内と長男は苛烈なカーアクションの真っ最中。
わたしたちが帰宅した際、家はもぬけの殻であった。
腹が減ってもう待てないという二男に千円を渡す。
しばらくして二男が戻ってきた。
駅前のたいかんで夕飯を済ませたのだという。
聞けば単独ですでに何度か訪れているそうだから、もはや二男は常連だ。
思い出す。
ずいぶんと月日が経過したものだ。
かつてわたしも足繁くたいかんに通った。
その日々に若きわたしの過去が凝縮されている。
青く未熟な受難時代であったはずだが、いま思えば懐かしい。
当時色濃かったはずの労苦の影は遠ざかれば遠ざかるほど薄まり、知らぬが仏の無邪気な阿呆面だけが際立って、なんだかとても幸福であったような気さえしてくる。
どうであろうがすべては終わったこととなり、数枚のシーンだけを残す思い出と化していく。
そのような机の引き出しの奥の奥にしまわれた記憶が、二男の言葉が引き金となってホコリ混じりに思い出されたのであった。
二男はランチを食べたという。
夜なのに、ランチ。
たいかんイチオシのメニューがランチであり、昼であれ夜であれランチを頼む客は絶えることがない。
二男もそうであったとおり、誰でも最初、中華一品のオールスターが集結するランチの豪華さに目を見張る。
系譜は引き継がれる。
遠い昔のこと、わたしはたいかんでランチを食べ、いま、二男がたいかんでランチを食べる。
当時と比して我が家大黒柱の苦難と憂愁は大幅に減衰し、はるかにましな境遇となった有り難みすらついうっかり忘れてしまうほどにも歳月は流れたけれど、黄金のランチはいささかも色褪せることなく不朽の名品として生き長らえている。
わたしは子らに何かを伝えるべきであり、その際には、伝える何かを容れる器が必要となる。
この夜においてはたいかんのランチがその役割を果たした。
当時の昔話がランチに添えて盛りつけられ、ああであった、こうであったと、それを受け継ぐべき人物に引き渡される。
ありとあらゆることが父子の接点となる。
たいかんのランチによって我ら父子は更に強い絆で繋がれることになった。