友人らの話を子らから伝え聞くが揃いも揃って頼もしい。
部活を終えて食事を済ませそこから各自の持ち場に散って夜学に勤しむ。
学校を終えて一息つくのではなく更にもう一踏ん張りするのだから見上げたものだ。
ある者は西宮で勉強しある者は上六や梅田またある者は天王寺、もちろん自宅で頑張る者もある。
各所で奮闘する友人らの様子が励みになって、良き相乗効果と好循環が生まれることになる。
もちろん学校に通う全員がそのように気力体力にあふれ真面目勤勉という訳ではない。
どこであれ二極化が付きまとう。
いっときは熱心に勉強に取り組んでいたのに、どうした訳か電池が切れたみたいになってしまう子も珍しくない。
何をするにせよ長期戦を見越したペース配分が不可欠ということなのだろう。
せっかちに飛ばしすぎると溜めがなくなり枯渇する。
一旦、足が止まってしまうと、再び走り出すのに難儀する。
子どもにその長丁場は見通せないので、力の入れ加減の見極めは大人の役目になってくる。
ここ一番というときにはとことん注力し、不要不急の際には人生を謳歌する。
余力失われぬような緩急自在こそが最重要。
そう大人が教えなければならないだろう。
頑張る彼らは、いかにも涼しげ楽しそうに見える。
険しい感じになった際には一呼吸入れる、そんな親心の恩恵を存分に受けているのに違いない。