大阪から西宮に居を移したのは、長男が小学校に入学する直前、2007年3月のことだった。
当初、大阪市内でも物件を探してはいた。
が、豊中在住の不動産屋の言葉が決定打となって、大阪市内を転居先の候補から外した。
「大阪市内は仕事をするところであって、住むところではありませんよ」
誰もとても口にはできないが、ごく一部の地域を除き、一面の真実をつくのであろうこの言葉で迷いが見事に吹っ切れた。
強烈過ぎて、今もときどき思い出す言葉である。
わたしたちが西宮に越した翌年、橋下さんが大阪府知事に就任した。
その3年後には、松井さんが府知事になり、橋下さんが市長になった。
仕事柄、府庁や市役所に出かける機会が多い。
当時は、どちらの職員も横柄で居丈高だった。
何度、不快な思いをさせられたか数知れない。
だからわたしにとって大阪府庁も市役所も気の滅入る場所であったが、維新が大阪を牛耳るようになってから、一変した。
そういう点でわたしは大阪が良い方向に変わったことを実感していた。
10年ほど前、全国市町村平均所得ランキングで大阪市は300位に近かった。
それが最新のデータでは189位であるから大躍進していると見ていいだろう。
しかしそれでも、軒並み東京の市町村が上位を占めるなか芦屋が全国4位で、豊中が27位、西宮が29位、箕面が33位、吹田が40位、宝塚が42位、生駒が52位、池田が58位、奈良が69位、精華が72位、広陵が75位、丹波篠山が79位であり、神戸や京都や大津よりも大阪市は遥か下につけているから、この地がかつて「大大阪」と呼ばれるほど栄華誇った地であるなど今では誰も信じないだろう。
元禄の頃、すでに大阪は日本最大の都市であった。
昭和のはじめに東京に抜かれるまで、大阪は単に大阪ではなく世界でも屈指の都市として「大大阪」と呼び習わされていた。
長いスパンで見れば都市にも寿命があるのかもしれない。
実は大阪はとうの昔に死に体。
それを無理やり維新が延命措置を行って、息を吹き返すかに見えただけのこと。
だとすれば、いまの大阪が日本各都市の先行指標と言え、大大阪のこの末路が日本の行く末と見ることもできるだろう。
そう思えば余談ではあるが、大阪星光がこの地に学び舎を構え進学実績で周辺の富裕な地域の私学に伍しているなど、実によく頑張っている話と言える。
今回の都構想の結果をみたとき、変化に好感を覚える層と変化に忌避感を覚える層で意見が真っ二つに分かれた。
何がどうなろうと自力で何とかできる。
そう自負する層は変化を求めたはずである。
他方、もしもの場合はたいへん困る、そう不安にかられた層については、余計なことはせんでくれ、と懇願したいようなものだっただろう。
もし今回の選挙が大阪市周辺の阪神間や北摂、奈良の王寺や香芝といった住宅地をも巻き込んだものであったら、一緒に頑張ろうといった気持ちで大阪に手を差し伸べ都構想に賛意を示す票の方が多数だったように思う。
大阪の地で維新が統制力を失い、いよいよ延命措置の手も尽きて、またあの魑魅魍魎が跋扈する大阪に戻ると思うと憂鬱になる。
市が府を見下し府が市に陰口を叩き、府も市もどっちもどっちというレベルで低きに流れ、住民がその割を食う。
得をするのはごくごく一部の者だけだろう。
しかし、まあ大阪に住まなければいい話であり、大阪の役所に用事があれば若手を行かせれば済む話である。
それにうちは息子を大学から東京にやるし二人とも英語を鍛え上げている。
だから今回の選挙結果に対する失望感は、さほどでもない。
2020年11月1日 この日2本目のトライ pic.twitter.com/Cyghe8OzZt
— koranikataru (@koranikataru) 2020年11月3日