日記で確認すると前回の施術は7月13日だった。
カラダを放置し2週間も経過したことになる。
ここ最近は週に一回のペースでマッサージを受けている。
怠ると仕事に障る。
足が絡んでいちいち出足が遅れるから仕事自体が悪あがきと化してしまう。
疲労が原因、そう分かっているので手が打ち易い。
もし原因が不明なら、ややこしい。
的はずれな究明の末、星回りや信心の度、果ては血筋を含めた因縁といった話にまで発展し、堂々巡りのエリアが不毛に拡大するばかりだろう。
昼を前に仕事の手を止め、事務所に向かう道すがら一時間の施術を受けた。
思った以上に疲労が蓄積していたのだろう。
最初の数手でわたしは寝入ってしまった。
終了間際になって目が覚めて、物足りなさを感じた。
確かに施術された。
そうと分かるが、その過程に伴う心地よさの実感がない。
つまり、施術されていないも同然だった。
事務所に入って、仕事は捗るがしかしなんとも煮え切らない思いでくすぶった。
だから仕事後、途中下車して馴染みのマッサージ屋に足が向いたのも自然なことと言えた。
強めにツボを押してもらって、その一押し一押しを愛おしみ、疲労が弾ける瞬間瞬間を注視し舐めるように味わった。
このプロセスを通じてはじめて、疲労の駆逐を体感できる。
施術後、夕刻の街に吹く風は涼やかで、その空気を胸深く吸って心が芯から安らいだ。
疲労が蓄積されてこそ、この心地よさを味わえる。
つまりは、疲労の恩恵。
たいていのことがこんな風に一対一で構成されている。
対応関係を誤らず、楽しみの方を後にとっておくのが良き日常を過ごす鉄則だと言えるだろう。