少しでもいい仕事ができるよう、さっさと寝床に入る。
月曜は週の出だしであるから、特にコンディションに気をつける。
夕飯を簡素に済ませお酒も飲まずすぐ横になった。
新聞を読むうち自然とまぶたが重くなり消灯。
次に気づいたときには朝、となるはずだった。
立て続けに着信音が鳴って目が覚めた。
時刻は深夜1時。
何事かと思えば仕事の連絡だった。
週末が締め切りとなっている書類を明日午前中には欲しい、とのことだった。
相手は酔っているのかもしれない。
ともかく、忘れぬうちに伝えようとしてこんな時間にメッセージを送ってきたのだろう。
書類はあらかた出来上がっていた。
だからわたしは寝床を抜け出し自室へと移動した。
そのまま仕上げて、深夜2時、相手に送って、その7分後、お礼のメッセージを受け取った。
これでお互い安眠できる。
心も安らかに寝床に再度潜り込む。
しかし、目が覚めてしまって眠れない。
それで自身の仕事について考えた。
駆け出しの頃から一貫し仕事を暮らしの中心に据え、仕事を最優先事項として位置付けてきた。
何より仕事が先にあって、それに最適化するように生活が形成されて、いまではゆとりもできたが、その順位は変わらない。
つまり、仕事が人生の不変の核と言え、幸いなことにその核とわたしが実にうまく調和して、互い持ちつ持たれつ良い方向に高め合う関係となっている。
その昔、世の中にこんな仕事があるなど知らなかった。
しかし、物心ついた頃からこんなスタイルで仕事するのかもしれないといった予感めいたものはあった。
だからだろう。
勤め人生活は長く続かなかった。
それは予感が告げたものとは似ても似つかないものだった。
内に宿った何かが示唆して、手の鳴る方へと進んだ結果、こうなった。
予感にいざなわれた、というしかない。
やはり、魂というものは実在するのだろう。
そこに書かれたコードはあらかじめ解読できず、感じることができるだけで、後になってそうだったのだという確証が得られる。
ボクサーならゴングが鳴ればファイトする。
人それぞれに「手の鳴る」道がセットされているとしか思えない。