KORANIKATARU

子らに語る時々日記

横顔にふれる貴重な時間

金曜の夜、北巽の駅に着くと後ろからカネちゃんに声をかけられた。
同じ電車に乗っていたようだ。
あじ平へ一緒に向かう。
予約は19:00。
地上に上がると交差点の四つ角全てが等量に明るく方向感覚を失う。
カネちゃんの誘導に従う。
風が冷たい。
てっちり日和だ。
時間通りに到着。
フォーユー幹部の相良さんがすでに着席している。
堺筋本町から地下鉄で15分もかからないらしい。
北巽は案外近いのだ。

頼りになる幼馴染という雰囲気醸す相良さんと中1のちびっ子時代から一緒に帰っていたカネちゃんと同い年3人組で席に着く。

北巽あじ平のふぐは、安くて美味い。
さあ、盛り上がる。
が、普段飲まない私は一杯目から意識が急降下、皆の横顔を眺めつつふんふんと頷くだけとなる。
腹話術の人形のように途切れ途切れ何か話したような気もするが、光ささない穴蔵から皆の様子を覗いていたというのが正確なところだろう。
「あんたの息子なら間違いない。そう思われるために仕事している。目先のことなど考えた事がない」と顔面真っ赤になるような御託を並べたことだけは記憶にある。
巻き戻してそのシーンはカットしておいてもらいたい。
てちっりの味を再確認するため、近々家内を連れて再度訪問しなければならない。

その後二軒はしごしたが、遠景のネオンだけがグルグルまわって脳裏に浮かぶ。
タクシーで帰った記憶もおぼろだ。
次の日は仕事にならない。
何年ぶりの二日酔いだろう。
カラダに力が入らず、久々に家で過ごした。
家族が出入りする気配を家の奥で感じながら、未開封のメールなどをチェックしてゆく。

そのままになっていた大学の研究室からの定期メールを開く。
恩師の娘さんがこの6月に亡くなられたとはじめて知った。
まだ20代の方である。
自室で眠っていて急死されたという。
かつてお家にお邪魔したことがあった。
小さかった面影が残っている。

階下に降り、夕食のチーズフォンデュを突いてホクホク食べる二男の横顔を見る。
時折、テレビの画面に釘付けになり食べる手が止まる。
巨大都市ムンバイに現れる人食いヒョウのドキュメンタリーをおっかなびっくり観つつ食べつつしているのであった。
家内がカレー風見の鍋焼きうどんを作ってくれる。

二日酔いでフラフラであったが、今夜、長男の迎えは私が行くことにした。
夜陰駆け抜け、教室の前にクルマを停める。
少し早く着き過ぎた。
1988年11月19日の夜、この近くで祖父が亡くなった。
高校生だった私は弟とチャリンコで勝山通りをとばして病院に向かった。
24年前のことだ。

長男が姿を現し真ん前に私を見つける。
満足気に顔をほころばせながら乗り込んできて横に座る。
その横顔を眺め、アクセルをゆっくりと踏み込みクルマを走らせる。
いま、この横顔を留めた記憶の主は誰だろう。
この像が跡形もなく消え去るのだとはとても思えない。
わたしという感度の悪いオフラインの受像器にいったん刻印され、折りに触れ蘇る。
いよいよ私が潰えるその時の時、ゆっくりと迫り来る時間のなかで、幸福な走馬灯の一コマとして全ての横顔とともに何度も何度も映写され続ける。

そして、こうは考えられないだろうか。
その後、オンラインとなる。
オフライン、オンラインという概念は、ネットの技術的用語を越え、もっと本質的なことを象徴的に表しているのかもしれない。
不完全に閉じた回路が、開かれる。

そのイメージに馴染めば、たった今クルマを走らせる直前、24年前にこの近くで息を引き取った祖父がわたしという端末を媒介に長男の面影を見ていた、そんな姿が突如浮かんでも何ら違和感を覚えることもない。

ますます自然で確かなことのように思えてくる。
やはりどうやら、また会えるのだ。