1
空が幾度も光る。
間髪置かず雷鳴が轟く。
間近に落雷している様子だ。
やがて、大粒の雨が勢いよく降り出した。
昨年に引き続き今年も花火大会は中止となるのだろうか。
時間は午後5時過ぎ。
駅の構内は浴衣姿の若者で溢れている。
彼ら彼女らは気が気でないだろう。
場所取りのため既に淀川河川敷に陣取っている者の中には失意のなか濡れそぼっている者もいるに違いない。
私はどちらでもよかった。
家内と花火見物に出かける約束はしていたが、例年の混み具合を思えばそれほど気が進むものでもない。
幸か不幸か小一時間で雨脚は弱まった。
暗雲はみるみる痩せ細って、晴れ間さえ見える。
じき、止むだろう。
2
午後6時、待ち合わせ場所である野田の活菜のテーブル席につく。
すぐに家内と二男が現れた。
淀川花火見物を前に腹ごしらえ。
刺身盛、鱧ちり、せせり焼き、串かつ盛、天ぷら盛、生春巻、蒸し穴子、まぐろ頬肉ステーキ、、、次々頼んで平らげる。
気軽に立ち寄れ安くて美味い。
二男がいたので初めて握りをお任せで頼んだが、なかなかのもの。
活菜はここら居酒屋風情のなかでは頭一つも二つも抜けている。
その証拠、界隈の飲み屋は土曜日なのに、また花火大会もあるのに空席だらけ、しかし、ここだけはいつも混み合い、今日も混み合う。
3
長男はこの夜、ラグビーの練習があって別行動。
まもなくお盆合宿があって、9月には秋の県大会。
これで、ちょっとした競技生活は締めくくりとなる。
高校になればクラブチームで趣味程度の取り組みとなる。
秋の県大会初戦の相手は強豪チーム。
これが引退試合となるだろう。
感慨深い。
もともとは子らの修養、逆境体験を目的として始めさせたラグビーであった。
当初は練習の度、泣いて叫んで嫌がった。
ところが小5でフォワードのレギュラーになってからは、土日だけでなく水曜も練習に取り組んで、受験生なのに勉強そっちのけ、まさかの展開、長男はラグビーに魅入られた。
人生いろいろ、勉強以外の寄り所も必要で、そこにささやかプライドも持てるのであればまこと慶賀なことであろう。
4
第27回よどがわ花火大会は午後7時50分に始まる。
食事を終えて海老江方面に向かう。
二号線沿いの歩道は、お祭りの境内さながらの趣き。
露店の裸電球が次第深まる夜の景色に映え、何とも情緒深くそぞろ歩く人波を照らす。
淀川大橋手前側を河口方向に折れる。
人の流れにつられて橋を渡ってしまうと、あるいは、花火打上場所に近い上流方向に折れてしまうと、混み具合は倍加する。
一度味わえばもう懲り懲りというほどの押し合い圧し合である。
避けて通るに如くはない。
少し「芯」を外せば、お手柔らかな混み具合、見物は遥かに快適なものとなる。
空を隔てるものはなく、向き合う角度によって多少は像に遜色生じても、どのみち誤差の範囲のようなもの、どこから見ようが花火は花火、近づいたところでより良く見える訳でもない。
5
川べりの堤防越し、家族で並んで開宴を待つ。
ところどころ浮かぶ雲が地上の灯りを受けて四方から空を照らす。
北の空に北極星、南の空には土星。
この時刻、肉眼で捉えることができる星はその二つだけであった。
定刻となったのか何の前触れもなく花火が打ち上がり始めた。
えっ、と言葉を失くしたまま、呆けたように見とれてしまう。
ゾクッと魂が震えるような感覚。
来てよかった、その瞬間に思った。
夜空が色とりどりの光で彩られる。
光の後に音が続く。
光が数を増し、勢いを増し、音がカラダにまっすぐ届く。
火の尾を引くようにして花火玉がいくつもいくつも空気切り裂き空中高く舞い上がっていく。
高みに到達しそこで大輪、花咲くように夜空を照らす。
数々の残光が様々な軌跡を描いて飛散し、やがて夜陰へとゆっくり吸い込まれていく。
詰めかけた万の観衆が息を呑むように同じ空を見上げ続ける。
日常の仕切りが取り払われて、こちら側と向こう側が、夜空を通じ繫がる。
非日常が現出しそれを皆で凝視しているかのような時間が流れる。
眼差しの向こう、無数の花火玉が空を駆け上がり闇を押しのけ光って、そして消えていく。
まるで人の生死の繰り返しをそこで傍観しているかのような不思議な感慨にとらわれる。
なぜか心静か、明鏡止水の境地とはこのようなことを言うのだろうか。
ふと、肩寄せ見入る家族の横顔を見る。
家内と目が合い、二男と目が合う。
花火は必ず家族で揃って見上げるべきものであろう。
この馥郁たる余韻は相当に永く共有されるもののように思える。