懇談のある日、母らが集まる。
場所は学校からほど近いレストラン。
食事しながら様々な意見が交わされた。
兄弟であっても通う学校が異なることは珍しくない。
入試が幕を開けてからの3日間、好不調のバイオリズムが綾となり、時の運というふるいにかけられる。
日頃の力を平然と出し切る者もある一方、ちょっとした加減で調子を崩すということも起こり得る。
それで得られた結果に、偏差値へのこだわりやら交通の便が加味されて選択がなされるので、兄弟であっても進学先が一様になるとは限らない。
かくして母らが集まれば、各校の情報が持ち寄られ、各校が比較検討の対象となって論が進められることになる。
そして父という種族と違って、母らは心配と憂慮をその生業とする。
だから母性によって為される価値評価は、父性によるものとは自ずと異なる色彩を帯びていく。
母らの感性にもっとも適切に応えているのは西大和だろう。
教師陣はいつだって親身で熱心。
何であれその都度、相談にのってくれる学校の包容力が安心感をもたらし、母の胸のうち募るストレスを軽減させる。
星光の場合は、その親身と熱心がまだらに見える。
なかにはそのような先生もいるが、そうでない先生もいるといった感じだろうか。
いっそ東大寺のように自由放任を高らか標榜し、潔いほどにその放任を実践しているのであれば、学校には頼らないと腹も決まるのであろうが、中途半端だとどっちつかずとなって心が揺れる。
だから母らは母どうしで集まって、西大和であれば学校の先生にそのまま単刀直入にぶつけられる話を、星光の近くのレストランでああでもないこうでもないと日が暮れるまで話し合うということになる。
それゆえ、家内と待ち合わせた時間は夕刻遅めとなった。
一緒に買物しながら帰途につく。
服も髪もピシッと決まって、そんな女房を連れて歩くことがちょっとばかり誇らしい。
閉店間際の魚屋で刺身をおまけしてもらってともに喜び、馴染みのスーパーで子らの食材をあれこれ吟味し調達するが、掘り出しものに出合ったりするので楽しい。
交わす話題は懇談の話と下の息子の作文。
作文のタイトルが「は?」。
一体誰に似たのか、鼻っ柱強い反骨精神が頼もしくてほほえましい。
我が家今年の流行語大賞は「は?」に決まりだろう。