KORANIKATARU

子らに語る時々日記

豚が真珠であってこそ

日曜午前、ジムでひと汗流してから家内と合流した。


息子が所望するシューズを難波で選びそのついで衣服諸々を買い求めるが男子の着衣は安上がりなので実に助かる。


昼は寿司、そうわたしが決めてクルマを松寿司へと走らせた。


この日も真夏日。

食べ終えてすることがない。


お茶して涼んでから帰ろうと意見一致し、なかたに亭でプチシューを食べアイスティーを飲み休日午後の時間をのんびり家内と過ごした。


東京に行く際、長男に肉を焼いて持って行くと家内が言うので近くにあったグリルやまたけに寄り、焼肉用の肉と夜に食べるしゃぶしゃぶ用の牛肉と豚肉を買った。


帰宅しても夕刻まだ早い時間。

現在LaLaTVで放映中の『被告人』というドラマを家内が撮り貯めていてその続きを見ることにした。


奇想天外の展開にまんまと釣られ没入し、見るのをやめられないという状態に陥ってしまった。


真相をお預けにされただけでいともたやすく釘付けになってしまうこのメカニズムはなんなのだろう。


ネットを見れば一気に結末にアクセスできドラマをダラダラ見るという無為な時間から解放される。

が、その代わりああでもないこうでもないとストーリーに焦らされ弄ばれる楽しみが消え失せる。


ふと思う。

これは人生にも当てはまり、もし結末含め先の展開を知ってしまえば、たとえそれが幸福に満ちたものであっても飽きてしまって、もう生きる気などしないと感じることになるのではないだろうか。


次にどうなるのか。

そうハラハラドキドキ思うからこそ次の日のページを息弾ませてあるいは息を潜めて繰ることができる。


『被告人』について話しながら夜は夫婦で鍋を囲んだ。

豚肉と牛肉を食べ比べるが、値段は三倍、味は五倍の差と感じた。


食事の途中、現在友人らと宮崎を旅行中の二男から家内に電話が入った。

母子が話す様子を横目に互いのグラスにワインを注いで思う。


わたしの幸福のハードルは至って低く、百グラム250円の豚で十二分に満たされる。


しかし世には、そんな豚などもっての外、もっといいものでなければ気が済まないという人もいるのだろう。


世にいいものはいくらでもあって、その差に着目すればキリないが、気が済まない人はいい思いをしている人のことしか視野になくそれが全てとなるから、美味しくたってまずく幸せでも惨めに思え、常に頭のなか火種くすぶり恨み辛みが絶えないということになる。


だから連れ合うなら、幸せハードルの低い人の方がいいだろう。


その方が幸せの面積広くなり、二人でそうであれば目一杯、ほぼ全面が幸福ということになる。


豚が真珠であってこそ不滅の幸福が手に入る。

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2019年7月28日 松寿司となかたに亭