秋の夜長、一人自室で過ごす。
一日のうちもっとものんびりできる時間だ。
このところは帰途に風呂を済ませさっさと自室に引き上げる。
心身弛緩し映画やら読書やら何でも好きに過ごせる。
酔っていては、好きなことの味わいも目減りしてしまう。
だから晩酌しての酩酊よりも素面の明瞭に軍配があがる。
部屋の向こう側、子どもたちが思い思いに過ごす気配が伝わってくる。
階段を降りる音、部屋からこぼれ出るオーディオのサウンド、ときおり交わされる会話の声。
足音が近づき扉が開く。
彼らがたまには顔を覗かせる。
これまた楽しい。
同じ屋根の下、暮らしを共にする確かな手応えのようなものを深く味わいながら、わたしは映画を見始めた。
この日はめっきり冷え込んだ。
冬の記憶が溢れ出しそうになるほど。
肩から毛布を被って、手にはペリエ。
この構図を絵にすれば、タイトルは「憩い」で決まりだろう。
映画の題は「追憶の森」。
A perfect place to dieとグーグルで検索すれば、青木ヶ原樹海がトップに躍り出る。
そこを死に場所に定めた男が主人公だ。
共演する渡辺謙の存在感が目を見張る。
樹海で彷徨い水を飲むシーンなど、圧巻だ。
やはり、ただものではない。
高倉健や三船敏郎、日本が生んだ最強の役者と同格といって差し支えないだろう。
渡辺謙が言う。
「漆黒の闇にまぎれ、愛する人はそばにいる」
樹海の薄闇のなか、渡辺謙がそう言えばそうとしか思えない。
懐かしいあの人たちはみなすぐそばにいる。
渡辺謙の言葉に導かれ、誰もが誰かの面影をしみじみと思い出すことになる。
このように、脚本が素晴らしい。
たとえば、主人公夫婦がする何気ない会話が、ふとした流れで、互いを責め合う言葉の応酬になっていくといったシーンがある。
口喧嘩へと至るプロセスを描く言葉のチョイスが絶妙で、全人類の夫婦すべてが胸に手を当て我が身を振り返ることになる。
そして、主人公夫婦の行く末を我が事のように見守る気持ちになっていく。
双方とも喧嘩しようなど思っていない。
むしろ険悪な場面を回避しようと感情を精一杯抑制しこらえている。
しかし、ほんとうに些細なちょっとした言葉が引き金になってしまう。
互いの感情がネガティブな方向で共振し始めたら、その振れ幅は自動反復で大きくなっていく。
だから、二人は言い争いを避けるため、どんどん距離を置くことになる。
干渉すればそこが導火線となって必ず喧嘩に発展してしまう。
しかし、もう破綻寸前というところ、主人公夫婦に重大な危機が訪れた。
それが転機となって、二人の関係は編み直され、もとの仲の良かった夫婦へと戻る。
それはそうであろう。
伴侶が重篤な病に倒れたり、あるいは先立つことになるのだとすれば、良い思い出や相手の良いところが前面に浮かんで、何度もそこがリピートされる。
淀んだような思いがすっかり換気されるのも当然だろう。
主人公夫婦と同様、どんな夫婦にだって胸の奥に仕舞った良き思い出などがあるはずで、映画とともにそれを反芻し、観る者は心洗い流されるようなカタルシスを覚えることになる。
しかし、死んだ後で愛が成就する点が、死を美化しているようであって受け入れがたい、そう思う向きも少なくない映画であるかもしれない。