一緒に買物に出かけて帰宅した途端、休む間もなく家内はテキパキと夕飯の支度を始めた。
キッチンから伝わってくる料理の手際良さが耳に心地よく小気味いい。
わたしはソファで寝そべってiPadを胸に置く。
『解夏』という一昔前の映画を見ることにした。
理由があって観る予定にしていた作品であった。
舞台は長崎。
うちの子どもたちがはじめて飛行機に乗ったのは長崎旅行のときだった。
坂があり海があり、光と風に満ちて町が清らか美しく、映画の随所で当時の旅の空気感がよみがえって懐かしい。
主人公は若くして難病にかかる。
視力を失うのは時間の問題だった。
彼は東京での教職を辞し、故郷である長崎に戻ることを決めた。
故郷は優しく温かく彼を迎え入れてくれる。
巻き添えにしてはならないと縁を断ち切ったはずの婚約者も彼の後を追って長崎にやってきた。
全編通じて完全無欠に風光明媚、長崎の方言が人の持つ優しさをくっきり浮かび上がらせ主人公をふんわり包む。
しかし、心温まる故郷での交流の過程とは裏腹、病は一片の慈悲もなく進行していく。
視界は徐々に狭まり、目に入る光は次第に焦点を結ばなくなっていった。
婚約者と立ち寄った禅寺で老僧と話すシーンが印象深い。
老僧は主人公に言った。
あなたは、視力を失うという行のなかにある。
視力を失ったとき、ようやくその恐怖から解放される。
まことにつらい行である。
その言葉にハッとする。
すっかり忘れていたが、わたしたちは誰だって行を積む過程のなかにある。
自らの平穏な小世界にだけ目を向け忘れたふりをしていても、不条理に満ち、不本意で苦しい行のなかに置かれた者がいる現実は変わらない。
ある者は病に蝕まれ、ある者は親しい者を失い、あるいは貧困に苛まれ、暴力に晒される。
そういった側面にフォーカスすれば、この世は苦しみそのものとも言えなくない。
老僧の言葉で、そんな当たり前のこと、物心つけば誰だって思い至る理不尽に目が見開いた。
全ては他人事と切って捨てるも同然の自身の傲岸不遜を恥じるような思いにもなった。
映画のラスト、主人公の視力がいよいよ失われる。
そばにいたのは、彼の目になると約束してくれた婚約者だった。
彼女の笑顔の残像が、乳白色の淡い光のなか霞んで消えていく。
辛く厳しい行のなかに置かれた隣人がいることをわたしたちは忘れてはならない。
それが人としての第一歩。
そう強く切なく感じるラストシーンだった。