KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ベースボールは聖なる競技

帰途につく車列に混ざって夜の二号線をひた走る。
流す音楽はDark Model。
アルバム二曲目のFate、四曲目のBroken Arrows、十二曲目のJudgment Day、十三曲目のAbandonedなど特に素晴らしく、それらに隣り合う曲も素晴らしいので結局全部が素晴らしい。

音につられついついアクセルを踏み込みがちになるので注意が必要だ。
目一杯踏むのは心のアクセルだけにした方がいい。

仕事を終えて晴れがましい。
一日のうちでもっとも心やすらぐ時間帯である。

途中で風呂を済まそうと毎度馴染みの和らかの湯にクルマを寄せた。

夜九時前ともなれば、混み具合も知れている。
ゆったりくつろぎ寝そべるみたいに炭酸泉につかる。

主電源は既にオフ。
大あくびしながら弛緩して幸せ。

でかい湯船の向こう側。
並んで湯につかる父子が見える。

小学生であろう少年が、ここで会ったが百年目とでもいった勢いで、夢中になって父に話し込んでいる。

話すだけでは足りなくなって、少年は立ち上がった。
湯は少年のひざほどの高さである。

野球の変化球について少年は力説しているようだ。
どうやら少年野球の投手らしい。

カーブにフォークにシュートにツーシーム、エトセトラ、エトセトラ。
全部で七種投げられる、少年はそう胸を張り、投球ホームをちんちんぶらぶら実演し始めた。

父は穏やか相槌うって、寝そべったままその様子に見入っている。

少年は投げる。
拳がボールとなって、バッターの手元にグングン向かっていく。

少年はすかさず打者となってスイングする。
が、同時に拳の軌道が大きく変化し、そこにあるはずのバットはボールにかすりもしないで空を切る。

なんて微笑ましい光景なのだろう。
この平和感こそ一日の終わりに相応しい。

そんな父子の交流を目にしたからか、野球道具一式を買いに走った昔の記憶がよみがえる。

息子が小学校に上がるか上がらないかといった頃のこと。
何の変哲もない、いつもと変わらぬお酒を飲んでの仕事帰りであった。
突拍子もなく、子らと野球する情景が頭に浮かんだ。

一緒に野球がしたい。
抑えがたいほどの衝動が湧き上がって、いてもたってもいられないような気持ちになった。

駅を降り、迷うことなくわたしはタクシーに飛び乗った。
目指すは大きなスポーツ店。
まっしぐら向かった。

グローブにバットにボール。
物色するのが楽しくて仕方なく、道具見て喜ぶ子らの顔も浮かんで更に楽しい。

結局あれもこれもと大人買いしたのであったが、野球道具をどっさり抱えて帰るときの幸福感に勝るものはないだろう。
父であることの喜びをこれほど感じたこともない。

ベースボールは父子のコミュニケーションに欠かせない。
聖なる競技といって差し支えないだろう。

あれから幾年月。
野球とは全く無縁のスポーツに勤しむ彼らであるが、一緒に野球した思い出は、わたしにとってかけがえのない宝のようなものとなっている。

いま思えば、野球道具求めてタクシーに飛び乗ったときの興奮は、まさに宝探しに赴く男のそれであったと言えるだろう。

あのとき買った道具はいまでは行方知れずとなってどこにも見当たらない。
が、わたしの胸のうち、いまも新品ピカピカの輝きを放ち続けている。