京都にて息子は66期の部活仲間らと再会を果たした。
練習を見学していると、隣はアメフト部でそこに64期の先輩がいた。
その先輩がおごってくれて、皆で鴨川沿いに並んで座ってマックのハンバーガーを頬張った。
晴れ渡る空のもと涼しい風が川面を渡り、彼らの友情は高らか鳴り響いて天まで届いた。
夜は66期で食事して帰宅は夜の11時。
卒後はずっと楽しい放課後が続き、この交流は死ぬまで絶えない。
やはり大阪星光は素晴らしい。
そして、今年も同窓会報の準備が始まった。
例年通り星光OBに原稿を依頼し、例年通り吹田の後藤市長からは即座に原稿が届いた。
このクイックレスポンスに、行政の長を取り巻く現場の臨場感がしのばれて毎回学ぶような思いとなる。
このように大先輩方からは確かな反応が素早く返ってくるのであるが、学年がくだると心許ない。
コロナ禍の影響下、書くことがないにせよ何らか応答の仕様はあるだろう。
そうは思うが今年は完全無視も同然、原稿依頼のメールに返事が来ない。
何年会おうが距離は距離でありその距離は埋めがたい。
そんな揺るぎない真実に気づかざるを得ない。
同窓であっても学年を隔てれば所詮は赤の他人のようなものであり、実のある仲は同期もしくは同期を深く介してしか生まれない。
それが実感。
だから無理せず、各学年だけのこぢんまりとした単位で仲良くやれば十分ではないかとの考えがこのところは持論になってきた。
息子は66期とつながり、部活絡みで隣接学年とも交流し、わたしが33期だから相互に連結は生じ得て、しかし、あとは余白。
そこに作為的に働きかけようとしても不自然で、縁があれば縁が生まれるであろうし、なければないで別口の縁が入るだけの話だろう。
成り行き任せが思し召し。
そう思って気楽に構え天から授かった縁を大事にしていけばいいのだろう。