家内が肉を焼くというので赤ワインを買い、まっすぐ帰宅した。
もりウインナーから取り寄せたパテをバゲッドに載せて前菜とし、料理教室でおせちを作ったという家内の話に耳を傾けているうち、一揃い肉が焼き上がった。
では、と家内は水曜のレッスンに出かけ、わたしはひとり静かに夕飯と向き合った。
ワイングラスを傾けて頭に浮かぶのは、先日訪れた福効医院で見た何枚かの写真。
ちょうど花見の季節、福効医院では「歩こう会」が催される。
患者さんらと映る集合写真がクリニックの待合室に掲げられていて、桜は満開で皆が笑顔満面。
その写真にタイトルをつけるとすれば『家族のようにあなたを診ます』以外ないだろう。
それくらいものの見事にクリニックの雰囲気が余すことなく映し出されていた。
写真をじっと眺めていると、院長が横にやってきた。
一人一人についてその人となりなど説明してくれるが、幾人もの方がすでにお亡くなりになられていると知ることになった。
昨春の笑顔が今春には見つからない。
時の移ろいとともに映る顔ぶれが微妙に変わっていくのはそのような理由があったからだった。
「人がいなくなる」ということのリアルをこれほど強烈に感じたことはなかった。
生きて在る「光」のようなものが、あるとき消える。
つまり人の一生など、瞬きのようなものではないか。
そう肌で感じた数日前の場面を回想しつつ、肉を食べワインを飲んでこの夜、どうした訳か実に清々しいような思いに至った。
被写体であり得る間、つまりいまここに存在している間が花。
花であるなら、陰にこもらずちまちませず、明るく朗らかおおらかに生きて、最後に最高の笑顔を残すのがいい。
であれば、どう考えてもやりたいことは全部やっておくべき、ということになるだろう。
まぶたに残った幾つもの笑顔が、それが極意と語りかけるているようにも思えてくる。
なんと単純なことだろう。
さあこれからは腹を括って楽しもう。
いろいろな雑念が吹っ切れて、挑みかかるような気持ちになったちょうどそのときワインのボトルが一本空いた。