お盆休みが明け、息子に注がれていたエネルギーが一気に家へと向いた。
食洗機に不調があって業者を呼び、洗濯機は買い替えのリサーチが開始され、熱射のもと裏庭と各階のベランダに敷布団が干され、玄関に水を巻きブラッシングし、宅急便のドライバーにはよく冷えたサンペレグリノを差し出し、クルマに掛け布団を積んでコインランドリーで洗浄し、ついでに米を精米し、帰りにはガソリンスタンドでクルマを洗車した。
これだけのエネルギーが日頃息子の食事一点に注入されているのだから、そりゃ息子はごつくなる。
その他掃除洗濯など数々の用事を軽々こなして、もちろん平素のとおり、オンラインでヨガのレッスンを受け、英会話も欠かさない。
だから、夕飯が多少手抜きなものになってもご愛敬。
余技で作っても十分おいしく、普段とは異なるものが味わえるから楽しく、いずれにせよ文句のつけようがない。
うちの女房は快活元気で働き者。
家内の母がそうであり、うちの母もそうであるから母とはイコール働き者とわたしは思っているが、もちろんそうでない例も山ほど見聞きしている。
昼まで寝て何もしない、ときおり風が吹いて日が暮れるのみ、減るのは財布の中身とビールばかりなり。
描写すればそのような、無精が根を下ろす家庭の例も枚挙に暇がない。
何であれ当たり外れだね。
そうだね、ふふ。
とてもそんな風に笑って済ませられるような落差ではない。
最初から無精と分かって連れそう物好きなどそうそうない。
あばたもえくぼというけれど初期の取り違えが後々取り返しのつかない事態を招きかねないということである。
人生どこに死角があるか分からない。
好対照な事例を見較べて交互に目をやっていると次第震えが止まらなくなってくる。