たまたま機会があって、料理の写真を家内は見せた。
やりすぎ、と何人かに笑われた。
ちょうど長男が大学入試の直前期に入った頃のことだった。
その話を昨夜夕飯のときに家内が思い出し、夫婦で笑った。
誰か他人に食べてもらう訳ではない。
実の息子に食べさせるのであるから手を抜く方がどうかしている。
息子が早起きすればそれより早く起き料理の支度をはじめ、息子が夜更かしすれば遅くまで起き息子の腹が鳴るより先に料理を差し出す。
それが家内にとっての当たり前の日常なので誰か他人に食べてもらう場合であっても手抜きになることがない。
その反対、よそ行きの顔をするときだけ張り切る人は、日頃は手を抜き、だから結局、張り切ったとしても低いレベルを脱しないと容易に想像できるだろう。
ふとしたとき、誰の笑顔が頭に浮かぶか。
そういう話であろう。
いくら忙しくても子の顔が浮かぶ母がいて、他方、暇を持て余していてさえ自分のことで頭がいっぱいという母がいる。
家内がいつも料理をするから、その影響を受け、息子らもちょっとした料理人の域に達した。
つまり、彼らの将来の家庭に良いものがもたらされたも同然。
やはり家内の頑張りは意義深いものと言え、未来の食卓で数々の料理が再現され、二人の息子を通じ長く語り継がれることになるだろう。