休もうと思えば休めるが、昔からの習性。
結局土曜は仕事に充て、せっかくだからと大いに励むことになった。
ジムを終えて帰宅すると、夜8時を回った。
玄関をあがると家はピカピカ。
年末大奉仕ということで掃除屋さんがかなり励んでくれたようであった。
夕飯を食べながら上機嫌な家内の二万語に耳を傾けた。
駅前のゴッドハンドはブラジル人。
このほどロシア人である奥さんの就職が決まり東京に越して行った。
発つ際、同僚に漏らしたという。
6年続けたがマッサージの仕事が嫌で嫌で仕方なかった。
だから気軽に注文がつけにくかったのだと家内は振り返るが、わたしは彼の表情と鬱屈の日々を思い新たな門出を祝福したいような気持ちになった。
技術は極めて高く人気を集める一方、その仕事に苦痛を覚える。
さぞや辛い6年だったに違いない。
多少なり苦痛であっても取り組むうちに気持ち入っていつしか夢中、だから充実感に包まれる。
せめてそれくらいの喜びがないと、陽の差さぬトンネルの中をずっと這うようなものである。
思い浮かべて、ぞっとする。
仕事が合う合わないで、天地の差。
晴れ晴れ高らか歌うように仕事できればそれに越したことはない。
そのためには、自身のうちの陰陽のツボを知ることが先決になるだろう。
何が嬉しく、何が苦しいか。
当たり前に分かるはずのことなのに、ついうっかり後者を選ぶ、ということが起こり得る。
前者を知って迷わず前者を選ぶべきだろう。