その昔、「百円おばちゃん」と呼ばれる人がいた。
阪急神戸線の電車のなか乗客に「百円ちょうだい」と声をかけてまわるおばさんで、ちょっとした有名人だったという。
名付けによって親しみが増す。
そんな一例として紹介されたエピソードだった。
「百円おばちゃん」についてわたしはもっと詳しく聞きたかったが、仕事の場だったので本筋から脱線するような質問は控えた。
が、その話がきっかけになって、会議中、わたしは「猫のおばちゃん」のことを思い出すことになった。
遠い昔の話で場所は大阪下町中の下町。
いつも猫を抱えているおばさんがいて、わたしたちチビっ子は「猫のおばちゃん」と呼んで親しんでいた。
百円ちょうだいと言ってまわるおばさんも、いつ見ても路地裏で猫を抱えているおばさんも考えてみれば、薄気味悪いような存在だろう。
ところが、なるほど名付け効果。
視界に入る一次情報に、親しみやすいような言葉がまぶされると奇異な人物も日常に溶け込んでしまうのだった。
「猫のおばちゃん」は、ある日突如、猫とともに町から姿を消した。
後には、作業服を着ていつも赤ら顔の亭主だけが残った。
「猫のおばちゃん」はどこに行ったのか。
その強面のおじさんに聞く勇気はなかった。
「猫のおばちゃん」はその後、どうなったのだろう。
会議の席で話者に頷きつつ、わたしは上の空。
「猫のおばちゃん」はあの後「百円おばちゃん」になったのではないか。
源義経が海を渡ってチンギス・ハーンになった話と同じく、わたしは「猫のおばちゃん」のその後について突飛な空想を巡らせた。