KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ここから学べと心の深奥がプルル震える

福島郵便局の裏に風呂屋があるのを最近見つけた。

清潔で湯加減もいいのでしばしば通うようになった。

 

番台のおばちゃんは年の頃85というところだろうか。

テレビを見て笑っている姿が可愛らしくてその様子に気持ちが和む。

 

昨晩も仕事帰りにその湯に寄った。

夜7時も過ぎると空いていて、のんびり湯につかって驚いた。

 

脱衣所に目をやると、なんとそのおばちゃん、腰も曲がっているのに掃除機をかけていた。

 

便利になった世の中、いまや自動ロボットが掃除をするので忘れられがちであるが、掃除機を使うことは決して楽な作業ではない。

 

85にもなればまず間違いなく重労働、もしかしたら苦役の部類に入りかねない。

それをどうやらおばちゃんは日常の業務として平然と行っているようなのだ。

 

頭が下がって、わたしの視界のフレームに掃除機をかける85のおばちゃんの姿がくっきり鮮明に残った。

 

だから帰宅した後、家内との会話はそのフレームの情景を巡ることになった。

 

流す音楽はマックス・リヒター。

二人でビールを飲みつつ、家内手製の酢味噌でハモをつつく。

切干大根の酢の加減が絶妙で、味覚を通じて疲労が癒える。

 

家内もわたしと同種の人間。

働くご老人を見かけるとなぜか涙腺が緩む。

八百屋や魚屋などで老いた夫婦が熱心に働いているのを目にすれば、涙が一筋頬を伝うのを避けられない。

 

老身に鞭打つ図を哀れんで、という訳では決してない。

そこに何か大事なこと、胸打つ何かを感じるからだろうと思う。

 

ここから学べ、と心の深奥が呼応してプルル震える。

そんなセンサーが内蔵されているといったような話なのだろう。

 

だからわたしたち夫婦は、遊び呆ければ気が咎めて落ち着かず、結局は歳とっても真面目勤勉に働くことになる。

そう確信できる。

 

そして、それが大事なことであると思うので、うちの子らもそのような感性の持ち主であって欲しいと切に願う。

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2018年10月22日 息子の夜食