板書する手を止め、物理の先生が振り返って言った。
「理系で金持ちになれるんは医者だけやで」
何気ない言葉の方こそ生徒の胸に強く刺さる。
肝心な物理の話はすべて海の藻屑と消え去った。
が、物理の先生がふと告げ知らせた世界の真実は、意味深な預言のように事あるごとに皆の心のなかで今も再生され続けているのではないだろうか。
この物理の先生だけでなく、そもそも学年主任であった世界史の先生が医学部進学を強く奨励していた。
目が合えば片っ端から医者になれと勧め、文系に進むことを選んだ学年トップに対しては何度も食い下がって念を押した。
「医者にならんで、ほんまにええんか」
この学年主任には未来が見えていた。
そうとしか言いようがない。
医者しか勝たん。
ならば生徒をそこへいざなうのが教師の務め。
使命感にも似た迫力は、「見えていた」からこその話であったのだろう。
このようにして大阪星光33期は一学年二百名弱のうち八十人以上が医者になった。
また、同じ学年主任が受け持った39期も同様に六十人以上が医者になった。
学年主任という同じ父を持つ二人の兄弟は、星光史上最多の医師を生み出した期としてその一位と二位を占める。
二十人の差に理由があるとすれば、物理の先生にその原因を求めることができるだろう。
もし、物理の先生まで同じだったなら、両期は双子さながら瓜二つの相貌を成していたはずである。
高校を卒業し幾年もの時が過ぎ、いつしかわたしたちは人生を振り返るような年齢に差し掛かった。
物理の先生が言ったとおり。
そんなアホなと聞き流した者らが見せつけられた現実と、素直に受け止めた者らが享受した現実の両面から、その正しさが証されたように思える。
もちろん例外はある。
が、例外などいくら積み上げても例外の度が増すだけのことであり、物理の先生の言は揺らがない。
両先生がいたから医者になった。
そうした者は少なくないはずである。
人生に光明をもたらしたという意味で、だから両先生は恩師と呼ぶにふさわしく、次に同窓会を開催する際にもやはり出席を要請せねばならないだろう。