なんだか哀れに思える。
グラスに氷を入れながら、家内が言った。
泳ぐ前に買ってクルマに置いてあったから、スパークリングはすっかりぬるくなっていた。
家内がテーブル越しに、ある人物のインスタを見せてくれた。
性懲りもなくまたニセブランドをアップして気取った風であるから滑稽を通り越して物悲しい。
本人はセレブのつもりで、まさに裸の王様、その物悲しさが固有の芸風といった域に達しているというのが衆目の一致するところではないだろうか。
一体この人物は何に駆り立てられて、嘘までついて見栄を張りたいのだろうか。
SNS世界のひとつの標本としてこれまで興味深くウォッチしてきたが、虚飾の向こうに透けて見える中身の空虚がどん詰まりの成れの果てといった寒々しさを帯びてきて、もはや笑えず痛ましい。
がわを飾ると中身が痩せる。
外側の虚が内側の成長を阻み、その補填のためますます外の虚が盛られて内が貧するという悪循環に陥っていく。
そして結局、内面は外面へと滲み出て、どう取り繕ったところで内の貧相がくっきりと浮かび上がって、だから憐憫を誘う。
そういうことなのかもしれない。
画面の向こうの虚像を目にしつつ、思う。
これは人一般に起こり得ることであるとの理解も必要だろう。
関心をまず向けるべきは内で、関心の大半を向けるべきなのも内。
順番と分量を誤ると、その外はとても見られたもんじゃないという結果に至る。
そう学んで日記に残し、どの道、外にまで手が回らないからわたしたちは家族揃って引き続き、地味に真面目に内面づくりに励んでいこうと思う。