KORANIKATARU

子らに語る時々日記

宝の山を大発見

武庫川を走り終えた帰り道、少年を見かけた。

 

家の前に出て空模様をしきりに気にしてる。

土曜の朝、これから家族と出かけるといった風に見えた。

 

歳は5,6歳といったところだろう。

目が合って、その瞬間、わたし自身も少年時代に引き戻された。

 

大阪下町の小さな家で家族6人で暮らしていた。

休みの日に家族で出かけるといったことは一切なかった。

少なくとも記憶にない。

 

近所が世界のすべてで、弟を引き連れ道端で遊んだ。

 

悪さばかりしたから母によく叱られた。

母は優しかったが怒ると怖かった。

 

当時のことを思い出せば母に会える。

そう気づいて記憶を探って歩いていると、自転車に乗る父子が視界に入った。

 

自転車の前カゴ部分に幼い子が座り、工事現場で動くユンボに心をとらわれている。

父親はそんな息子の様子を優しく包み込むように見つめていた。

 

それでわたしは、父についてもいくつかの場面を思い出すことになった。

父はただただ怖かったが、ほんとたまに優しい一面を見せることがあった。

 

カラダの洗い方を教えてくれたのは、まさにわたしが5,6歳の頃のことであったが、鮮明に記憶に残っている。

その洗い方をいまでも踏襲していて、その洗い方を二人の息子にも教えたから、父譲りが代々伝わっているということになる。

 

銭湯の一場面の記憶にひたっていると、長男から写メが届いた。

この三連休も図書館にこもって勉強するのだという。

 

頭の中の映像が、わたし自身の5,6歳の頃から、息子たちの5,6歳の頃へと移り変わっていった。

 

二人の息子はほんとうに可愛かった。

仕事はたいへんで経済的にも楽ではなかったが、息子たちがいたから当時はわたしにとって黄金時代と言えた。

 

様々な場面での思い出が尽きない。

つまり、宝の山がわたしの内に眠っていたということである。

今更ながらその大発見にわたしは路上で歓喜した。

2022年7月16日夕方 阿倍野 恵美寿屋→正宗屋