近所の中華料理屋で何品かテイクアウトし、ノンアルを飲みながら女房と昼を済ませた。
じゃあ、そろそろ行こうと言って向かうのは西宮北口だった。
家内はこのところはもっぱら大阪にてジム活を行っている。
トレーニングに励むメンバーが若くて刺激になって、施設がキレイで空いている。
そういう理由からだった。
しかし、家でのんびり昼を食べ終えた灼熱の午後、わざわざ大阪まで向かう気にはとてもなれない。
それでひさびさ西宮北口にて一緒にジム活することになった。
ジムに入ったのが午後2時半で、そこを出たのが午後5時過ぎであるから、ざっと3時間をジムで過ごしたことになる。
映画を観るより長く、夫婦でともにするアクティビティとして結構なボリュームと言えるだろう。
そしてジムではカラダを動かす喜びを味わえて、ノルマを果たし終えたときにはとても晴れがましいような気持ちで胸が満たされる。
つまり、ジムさえあればノーアイデアで過ごしたとしても、自ずと一日が充実したものになるということである。
だから特に予定がないなら、ジムへと足を運ぶのが賢明だろう。
帰宅し夫婦で食卓を囲み、ワインを飲みつつ充実の余韻にひたった。
運動したことで体内ではいろいろなホルモンがご褒美的に分泌されているのだろう。
とても爽快で、そこにアルコールが加わってなにやら楽しくて仕方がない。
それに加えカラダに力がみなぎって、カラダのシルエットもだんだんいい感じへと変化していることが分かるから実に気分がよく、「いい感じへの変化」がもたらす喜びの根底にあるのが確たるコンフィデントだとも分かるから、この喜びはますます盤石なものになっていくことだろう。
そんなポータブルで独占的で絶対的な幸福をこの身ひとつで感じて、思う。
生きて在ること自体が幸福で、カラダを動かせば、その幸福感が抑えようもなく躍動する。
誰か他人と比べて意気消沈する、なんとなくやる気が起きず気が塞ぐといった場合、おそらく走りが足らず泳ぎが足らず筋肉への負荷が足りないだけなのではないだろうか。
動き出せばいろんな澱み滞りが吹き飛んで、原初のピュアな「喜び」だけがカラダに残る。
思えば、わたしたち家族4人が揃ってカラダを動かすようになったのは元をたどれば家内のおかげ。
「勉強はやめても部活はやめるな」
そんな言葉に集約される家内のスピリットが、陰気で根暗な空気を寄せ付けず、力強くも頼もしいこの家庭を築き上げたのだと、ふとした日曜の一コマで再認識することになった。