昼に入った店の冷房の効きが極めて悪く、食事しつつ汗が噴き出して止まらない。
このまま海や山に入るのであればいい助走となる食事だが、デスクワークするだけの話であるから噴き出す汗は無用の長物であった。
このときの多量発汗の不快さが記憶に鮮明だったから、夕刻、プールで悠々と泳いだときに感じた心地よさは最上のものであった。
この日もたっぷり運動し家内とともにジムを後にし、わたしの運転で帰宅した。
ちょうど英会話のレッスンが始まる時刻で、食事はそれが終わるまでお預けとなった。
夕飯の目玉は肉ではなく手作りのキムチだった。
先日訪れたソウルで、家内の妹分が自家製の味噌と唐辛子を大量に分けてくれた。
それをベースに漬け込んで仕上がったのであるから、特別なキムチと言えた。
そしてこの特別なキムチはことのほかおいしく、市販のものにはもう用はない出来栄えといって過言でなかった。
家内の料理センスと数々の料理教室を通して蓄積されてきた知識に、本場ソウルの味噌と唐辛子が加味されて生まれたのが眼前のキムチであった。
「人間としての最高の価値は友情である」
そのキムチを味わって、わたしはミラン・クンデラの言葉を思い出していた。
味噌と唐辛子といった根源的なベースになる何かをわたしたちは日々交換し、その交流を支えるのが友情だと捉えれば、友情の何たるかを明瞭に理解できる。
普段、その根源的なものは目に見えない。
だから、友情について思い当たることも少ない。
が、味噌や唐辛子といった形で本来は無色なものに「染色」が施されれば、たちどころに理解が及ぶ。
半世紀ほどの時間を生きてきて、わたしも家内もこの友情に恵まれてきた。
それをことほぎ食事していると、まもなく長男から電話がかかってきた。
スピーカー設定にして3人で会話した。
いま仕事が終わった。
自転車で帰ろうと思ったが、近隣のどのポートにもシェアできる自転車がない。
それでタクシーをつかまえての車中、暇つぶしで電話してきたのだった。
先日、慶應の後輩ら5人をちょっとした店に連れ皆におごったとのことで、その写真が送られてきた。
先輩ヅラの長男がとてもかわいい。
長男との電話の後はもちろん二男に電話をかけた。
夏は友人らと旅行するとのことで、どうやらわたしたちとは予定が合わない。
しかし、何より大事で優先すべきは友情だろう。
66期ホッケー部全員が一人もかけることなく揃って旅するという。
高校を卒業しタイムラグはありながらも全員が大学生となり、いま全員が次の道を目指して頑張っている。
この旅を通じ、どっさりと「味噌と唐辛子」が交換されて、今後に活きる各自のベースが形作られることだろう。
結局、この夏も彼らの帰省を待つのではなく、わたしたちが東京へと赴いて家族全員集合のタイミングを画策することになる。