年末になって来年の案件について幾つも話がもたらされ始めた。
引き合いの数は現時点で今年の総数を上回る。
わたしとしては「覚悟が問われている」ようなものである。
もちろん受けて立つ。
外見はどうあれ、気持ちはサムライ。
現代風に言い換えるならアスリートということになるだろう。
ネガティブに捉えれば、また一年、身を粉にするのかといった話になる。
が、そんな考えを自分に許せば仕事自体が虚しくなりかねない。
来年は今年以上に面白い。
多難ではあっても、その労苦を補って余りあるほど楽しく喜ばしい一年になる。
そう思ってウキウキワクワクできる者だけが責任ある仕事に携わるべきだろう。
結局あれこれ考えて、せっかくの人生、生きる歓びに焦点を当てようとの話に行き着くのだった。
ここ最近、お酒を断って、その隙に甘味が忍び寄って苦しゅうない。
カフェ活を終えた帰途にマッサージを受けこれだって歓びだと最近享受した歓びを指折り数えて家に戻ると、月イチのヘッドマッサを終えた家内もちょうど帰宅したところだった。
夕飯時、家内が言った。
ヘッドマッサを受ける際、たまたま施術者から龍穴神社の話が出たのだという。
お参りしたのはいつだっけ?
家内に聞かれ、3〜4年前ではとわたしは言って、こっそり日記を調べるとお参りしたのはちょうど一年前、12月10日のことだと分かった。
この日が12月11日であったから、1年経ったよとまるで告げ知らされているようなものではないか。
わたしたちは顔を見合わせた。
ものは取りよう考えよう。
単なる偶然と片付けるのではなく、施術者を通じ「またおいで」とのメッセージが龍の神様から送られてきたと解釈するのが正しい受け止め方と言えるだろう。
思い返せばお参りした後、いろいろなことが重なって忙しさが増していった。
だから今年の締め括りとしてご挨拶に伺い、来年についてもご加護を乞うというのが当然の礼儀ではないか。
単に偶然と片付けたのでは何も起こらず身が粉になるだけ。
龍の勢いに乗じて新たな一年も飛翔する。
そうイメージした方がはるかに助けになるだろう。
家内とのふとした会話で今年のテーマが龍であり、来年もそうなのだと気づくことができた。
これまた偶然と済ませていたのでは昇龍に水を差すだけで終わってしまう話だろう。