KORANIKATARU

子らに語る時々日記

ニンニク注射で疲労回復しワイン会(その2)


なかなかに思い出深い夕食となった。
こんなに素晴らしいとは想像していなかった。
熟達の舌が感じるようなイタリアの土の香りなどまでは感知することはできなかったが、雰囲気だけでも十分満喫できた。

イタリアと言えば車椅子の有名人が銀座のイタリア料理店で車椅子を理由に入店拒否されたという話が最近あったが何とも酷い話ではないか。
先進国を気取ってはいても日本の風土は、東アジア的後進性にまみれている。
車椅子だけでなく、エレベーターや電車に乗り込んでくるベビーカーを白眼視したり、機内や車内で泣き叫ぶ赤子の母を難詰したり世知辛さにもほどがある。

相手の事情をちょっと考えてあげるという理知と度量はないのだろうか。
根暗でさもしい人間が平然と跋扈しているようである。
イタリアではそんなことは起こらないだろう。

来月のワイン会はフランスからイスラエルまで5カ国のワイン特集ということである。
地元でこういった催しがあればすぐに満杯となって参加困難となるに違いない。
はてさて次は誰を誘おうか。


この日、市内某所にて不快に感じる言葉遣いを耳にし続けた。
面と向かって何か言われた訳ではないし話す内容が聞くに堪えないといった訳でもない。
言葉遣いがぞんざい過ぎて何とも耳障りで滅入るような気分となったのであった。

言葉遣いは侮れない。
深い考えなく当たり前に普段使いの言葉を発するけれど、これは時と場によっては不適となり、よくよく気をつけないと足下すくわれる結果につながりかねない。

言葉遣いが直截にその人となりと背景をあからさまに照らし出す。
簡単に取り繕えると思いがちだが、面は必ず割れてしまう。
軽々しく取扱えるものではないと肝に銘じなければならないだろう。

阪神間にありがちなとってつけたようなにわか仕込みで妙ちきりんな標準語に怖気感じたり、トグロ巻くほどにくどい二重三重敬語の慇懃無礼さに身悶えるほど居心地が悪くなったり、のべつまくなしワンワンとだけ鳴く野良犬みたいに何もかもをヤベーというワンワードでまくしたてる語彙の貧困さにヤベーと苛立ったり、常識レベルの丁寧語も使えない若者にタメ口たたかれれ閉店ガラガラと背を向けたり、横柄でトゲトゲしい攻撃的な口調にムッとしたり、生ゴミのように下品で無粋極まるもの言いに閉口したり言葉遣いで戸惑う場面は数え上げればキリがない。

言葉遣いがそのままその人の本質を物語るだけでなく、その場の雰囲気や相手の感情にも影響を与え、そして相手をどのように思っているのかその軽重の念も露骨に表沙汰となる。

だから、いくら正しいことを言ったところで、言葉遣いを誤ると、目的は達せられず、何も通じず、知らず知らず邪険にされたり蔑まれたり、圏外に隔離され交流が長続きしないという立場に成り下がることもある。

温和温厚で品がありかつ隙のないような言葉遣いを身につけるには、そのようであろうとする不断の心掛けとしっかりした日本語の錬磨が不可欠となるだろう。

グローバル化だ、ならばイングリッシュだと先走る前にまずは手堅く日本語の土台を築く、そのように考えた我が家の方針には意味があるのである。
英語なんてちょっと早めに勉強したところで目に見えた効果などあるはずがなく、中高大と学んで、ある時逼迫した必要性が生じれば後は何とかなるものなのである。
ぺらぺら流暢に喋れば喋るほどそれこそバッタ者っぽく気色悪いだけであり、下手くそでも中身が伴っていることこそが絶対的に重要なことであろう。
君たちへの参考のため、他言語の早期学習は論理的思考力を要する数学の成績などに芳しくない影響及ぼすという説が存在することも付け加えておこう。


ワイン会のあと、塾を終えた二男と合流し、電車で一緒に帰宅する。
駅前で買ったたこ焼きの様子を気にしながら塾での様子について二男が話し母がふむふむと頷く。

夜風は冷たく、線路沿いに生い茂る草の香りがあたりに満ちている。
カマキリの匂いがする、と二男が言う。
目には見えないが、イタリアの土をワインから感じるように、そのような知覚も実際に存在するのかもしれない。
まことに奥深いことである。