ラグビーをやらせてくれてありがとう。
かねてから長男はそう言っていたが先日、二男もそう言った。
ラグビーを通じ学んだ何か重要なものについて、青年となって改めて感じるものがあったのだろう。
そんな二男の言葉を皮切りに、夫婦でワインを注ぎ合って過去を振り返った。
特急電車に胸を踊らせ昆虫を追いかけた幼少時から彼らは内に湧き上がる「憧れ」にシンプルに反応していた。
長じて「憧れ」の対象は様変わりしたが、胸を踊らせそれを追い求める姿勢は昔のままと言えるだろう。
小学生の時期はラグビーに励み、中学受験をともに無事通過し、中高も各自スポーツに励みあれやこれや関心領域を広げつつまあなんとか二人とも現役で大学に進むことができた。
いま大学生となり、やはり各自シンプルに各自の道を突き進み、大きな導きのなかにあるのだろう各自に合致した大学で鍛えられ磨かれている。
今ではとても追いつけないが途中まで親として伴走していたようなものであるから、その背を見つめて感慨深い。
いま思えば、芦屋ラグビーに入ったときからちゃらちゃら遊ぶという路線とは決別したと言えるだろう。
地味に真面目に日常を過ごす、それがデフォルトになった。
すべての日曜日が練習に捧げられるのであるから、そうなって当然という話だった。
その姿勢のまま日々が積み重なり、いまに至った。
そしてそれは素晴らしいことであったのだろう。
かつてサル同然であった息子二人が、東京の地にてその力の片鱗を見せはじめ、今後男子として最強化していくのだろうと予感でき、親として実に喜ばしく頼もしい。
ラグビーによって培われたものが、いまもって有用に作用している。
長男に続いて二男もそう気づき、それでなるほどと今になって親も気づくことになった。
その昔、家内を当てこすった人物はうちの息子らのことも当てこすった。
ちょっと頭がおかしいのでは?
病院に連れて行った方がいい。
そんな言葉は忘れようにも忘れられない。
この夜もふと思い出し、それで夫婦してその人物のインスタに目をやった。
相変わらず小ウソにまみれ、単なる日帰りの遠出が充実した旅行みたいに変貌している。
が、つぶさにみればそこに足りないものが明らかで、結局、見せようとする姿の対極の像がそこに結ばれ丸出しになっている。
地味に真面目に生きてきた。
だからうちの家には小ウソは無用で、この平凡の手触りに確かなものを感じて心が落ち着く。