KORANIKATARU

子らに語る時々日記

美しい日本に触れる旅


歳差運動によって自転軸が周期回転するため、8千年後には白鳥座のデネブが、そして1万2千年後には琴座のベガが北極星になるという。
四万十の夜空にくっきり光る夏の大三角を見上げつつ、それぞれの星を天体望遠鏡で観察しながら解説を聞く。

いま目にするデネブの光は1400年前に発せられたものなので大化の改新より古い来歴だ。
ベガの光は25年前だからちょうど私が東京で大学生となった頃合いのものがいま届いていることになる。

そしてデネブは太陽の200倍、いつも決まって月の右下に見えるさそり座のアンタレスは太陽の700倍の大きさだ。
日常馴染み過ぎた距離感と寸法の感覚が白紙に戻る。

西宮から四万十まで距離にして420km、ものの数にも入らない極小の数値と思えてくる。

次の目標はと聞かれ、オリンポスですと答えた登山家の話をふと思い出す。
オリンポスというのは火星の最高峰で標高27,000mだという。


この夏休み、四万十で連泊し足摺で一泊した。

江川崎では日本一にも躍り出るほどの暑さが続き藻が増え鮎が減り、いつもはこんなもんじゃないと地元のおじさんは語っていたが、それでもその清流の度合いは子らを魅了した。

中上流の誰もいない水辺を陣地にして、まるで貸切状態のようにして父子3人で日がな過ごした。


泳ぎ潜り釣りをし、そして美しい静止画とも言えるその風景に見とれ続ける時間を共有できた。

地産の食材の買い物に各地巡る家内が時折差し入れを置いて行く。
鮎の塩焼き、四万十バーガー、あじの姿寿司など名産に加え、キンキンに冷えた四万十ほうじ茶。

丸二日、四万十の清流に芯まで浸かってすっかり心清められた。


旅の目的は、高知の気風を形作る風景を目に焼き付け、そして人物に触れることであった。

三日目、四万十中流の江川崎を発ちジョン万次郎に会いに足摺方面へ向う。

途中、ナビの言うまま細い道路に入ったのだが、これがドツボであった。
後にも先にもこれほど不安と恐怖に苛まれた道はない。

「戦慄の国道439号線杓子峠」といえば日本屈指の酷道であるそうだ。

何とか切り抜け竜串の桜浜で魚影を追い、ぷかぷかと波間に浮かび、カヤックする子を追い、疲れ果てるまで南国の極上美しい海辺を満喫できた。
無事にあの県道をやり過ごせたことを神に感謝である。


ジョン万次郎記念館は足摺岬への途上にある。

万次郎の足跡を遺品やスケッチ、模型の展示、ミニシアターの映像などで追うことができる。

14歳のとき、初漁の船が遭難し無人島でアホウドリなどで食いつなぎ5ヶ月近くを過ごす。
ウミガメの卵を採取しにたまたまその島に立ち寄ったジョン・ハウランド号に助けられ、ホイットフィールド船長とともに世界を航海。
そして日本人としてはじめてアメリカの土を踏んだ。
持ち前の勤勉さで学業に秀で首席で卒業し、ゴールドラッシュで旅費を稼ぎ遂には帰国。
日本が近代化していく過渡期において日米の掛け橋となる業績を数々と残した。


峻厳な足摺岬の地形を群生する樹木が柔らかな緑で覆う。
和の風景の典型と言えるのではないだろうか。
航海の途中、遠くに見える日本を目にし帰国への情熱を滾らせた万次郎の心情を想像してみる。

家族で旅行しながら我々も美しい日本の風景をたくさん目にしてきた。
この高知においても、海に山に川、たわわな緑、じーんと来るほどにおいしい地産の米や味噌や卵、野菜、魚を味わった。
空海が歩いたという道をジョギングし、気安く話しかけるのも躊躇われるような雰囲気のお遍路さんの方々を酷暑の路上あちこちで見かけた。

政治家の美辞麗句などではなく、まずは美しい日本を肌身で知ることだろう。

間違いなくここ高知も我々の第二の故郷の一つとなった。
郷土感覚を持つことは大切なことである。

人物と土地が織り成す原風景が我らの背景を彩り、折りに触れ我らの心強い援軍となることであろう。


もちろん市街地の雰囲気に触れることも欠かせない。
最終日は、高知市へ向かって高知城を見学し、350年の歴史を誇るという日曜市を散策し、チンチン電車に乗り、ちょうどキャンペーンをしている最中の県庁おもてなし課を訪ねた。

食い道楽の締めは、名店せいろにてうな丼を頂いた。
あまりに美味しく、家族で讃え頷き合い、旅を締め括る上で最上の食事となった。


昔の日記を読み返すと、行間から仕事でのイライラや鬱憤が漂ってくる。
何をそんなにせかせかしているのだと気遣いたくなるほどである。

知らず知らず、日常の狭い視野のなかに閉じこもりタコ壺の奥へ奥へとはまりこみ窮屈に身を縮めているのだ。
それで毒づき自らをますます寂しゅうさせる一方、些事を針小棒大に受け止め、無頓着ぐらいでいいはずの誰も気にもとめない面子なぞに拘泥して肩に余計な力が入ってさらに疲労を倍加させる。

時に、身と心を解き放つ旅は欠かせない。

どうせ仕事するなら幸福な思いをもって取り組みたい。
幸福感がガス欠になったときには、旅が特効薬となる。