KORANIKATARU

子らに語る時々日記

時間が全てを解決していく


寝込んで仕事を休んだのは何年ぶりのことであろうか。
過去の記録を紐解くと2004年12月にインフルエンザで数日へばったとの記載がある。
それ以外は、だるかろうが痛かろうが仕事し続ける書類屋稼業であった。

多少の体調不良は幾度かあった。
近いところでは昨年2月初旬、腹痛と発熱でもしやノロウイルスに感染かと肝を冷やし家内の運転で阿倍野の田中内科クリニックに駆け込んだことがあった。
診察受ければノロウイルスなどではなく、適切完璧な処置を受けすぐに改善、おかげでその日も仕事を続けることができた。

しかしこの日木曜日、全てがちぐはぐすれ違い、去年成功した勝利の方程式をなぞることができなかった。

二男の腹痛が兆候であった。
学校を早引させるとの連絡が家内からあり、病院で診てもらったところ感染性胃腸炎だという。
ちょうど学校でも流行中だそうである。

それで、私自身の不調にも合点がいったのであった。

朝から腹痛とだるさはあったが、それくらいのことで仕事を休むはずもなく、すぐに治るとたかをくくり、夜に酒席の予定もあったので車ではなく電車で出勤した。

3月間近なのにやけに冷たい外気に触れて不調さが増すが、なんのこれしきと電車でうずくまるように身を呈し事務所に向かった。

デスクに向かい所定の用事を片付けつつ、当の家内の連絡を受け、二男と同じく私も感染性胃腸炎に違いないと確信したのだった。


じっくり思考要する書類については、腹に力が入らないと手元滑ってどうにも積み上がっていかない。

デスクでの格闘は時間の無駄であった。
他のことはシャットアウト、増し続ける腹の痛みとだけ静か向き合い横になって休みたい、ただそれだけを願うような状態となっていた。
虚しい時間を過ごしつつ、しかしおくびにも出さず、そこに座っている状態を続けるだけであった。

何とか一日をやり過ごし、帰宅し家ですぐに横になった。
二男だけでなく家内も同じ症状であった。
一家揃って感染したのだった。

不思議なことに長男だけはどこ吹く風。
学校から帰り、いつもどおり飯をがつがつ食い、機嫌よく何か歌いながら勉強に勤しんでいる。

人類に一大事があっても、こいつだけは生き延びるに違いない。


金曜朝9時、方々に電話し予定の変更を詫びた。
夢か現か、通勤電車のなか昔懐かしの友達や大好きだった人達と再会していると、時折携帯が鳴って我に返り、仕事のやりとりをするという時間を過ごす。

意識の線香花火状態のようなものであったのかもしれない。
点灯している間ははっきりと見渡せる世界があり、それが点滅になるとその世界が幾層にも重なって混在する。

点滅すら消えてしまえば、ジ・エンド。
認識寄せつけることのない、絶対的な無が訪れる。
もちろん電話も通じない。

回復すれば出勤するつもりであったが、点滅状態のまま結局終日寝こむこととなった。


テレビのニュース番組では川崎で起こった中1生殺害事件が取り扱われている。
寝込んでいたがこの時ばかりは半身になった。

彼の地のテロリストらがこれでもかと見せつけるおぞましいやり口が、思想信条の媒介抜き、ネットを通じてそのレセプター有する境遇の者に、ダイレクトに伝播している。

実際にこんなことが起こったのである。
あの非道を礼賛する者さえあるのかもしれない、そのように危機的に考えた方がいいのだろう。

豊かで平和な日本であっても、残忍な先鋭的トレンドにじんわり感化され得る予備軍が各地あちこちに潜んでいると、このニュース一つで窺い知ることができる。


私にとっては、ちょうどいい節目の休日となった。

野球なら、打って走って守ってと、走攻守の三拍子揃って一流と言える。
書類屋においては、書けて動けて話せる、3つが揃わないと一人前とは言えないが、うちの事務所においてはこれまで動ける代走がいる程度であった。

書く、話すという心臓部を担うのは私をおいて他になく、たまに信頼置ける同業に定形的な書く部分は任せるにしても、私が前線に貼っ付いてなければ話が始まらないという状態であった。

幸い、この3月から前線にも立てるイキのいい男子が合流してくることになっている。
商売気のないうちくらいの事務所であれば、顧客にとっても事務所にとっても前線は二枚程度が最適値。

のりしろ含めこれで広角360度、業務がよりきめ細やか円滑となることは約束されたようなものであろう。

何か良き変化が起こる季節。
春の到来である。


臨時休業の日、安静にしようとうつらうつらと寝入りながら、することもなく昔の日記などをスクロールしていた。

過去4年で日記は800近い数にのぼる。
いきがった表現、板につかない言葉遣い、どこまでもくどい長口舌など、40歳以降になってもつきまとう我が身の稚拙さにほんのり顔を赤らめながら読み返す。

いつだって忙しい日々、締切に追われトラブル抱えそれを何とか切り抜け続けていくような日々が綴られている。

任意に選んだ過去のある日と、今日の心境はほぼ同じ。

ここを切り抜ければトンネルを抜ける、そう信じ、来る日も来る日も新たなトンネルを潜り続ける毎日。

そして気づいた。

あれほど頭抱えた難事も、今では昔話。
厄介事が、いくつもいくつも前途に立ち塞がっては、どれもこれも無事に過ぎ去って、忘却の彼方、過去の出来事となっていく。

何もかも時間の問題。
時間が全てを解決するというのは本当のことであるようだ。

今直面する問題群も、いつの日か過去の遠い思い出となっていくのだろう。


よきにつけあしきにつけ、時期が訪れ、移行のための糸が垂らされる。
新事務所に移ったときも、糸が垂らされたことがきっかけであった。

粛々と業務し新事務所にてまもなく3年目。
ちょうどいい頃合いと十分納得の時期に、また糸が垂れた。

自然に従い、それを掴んで流れに寄り添う。
「消灯」のときまでは吉だらけ、そう思えば、これも必ず吉と出る。

時間がすべてを導いていく。