夕刻、ガーデンズに買物に出かけ、夕飯もそこで済ませることにした。
まだ早い時間だったから大起水産はがら空き。
テーブル席で家内と向かい合い、おすすめの品を注文していった。
腹ごしらえを終えエレベータで阪急の食品売り場に下りた。
部活の行事があって木曜に二男が帰省する。
家内は張り切って、だからカゴ2つ分の買物となった。
帰宅しても空はまだ明るかった。
前の公園で大勢の子どもたちが元気に遊んでいる。
このところまた近隣の子の数が増えたように感じる。
その分、砂埃が舞うから水撒きが欠かせない。
家内が玄関で作業していると、隣の奥さんが通りかかった。
しばし立ち話となって、家内は玄関に積み上がったマンガを見せ処分する予定だと話した。
そこで隣家の奥さんが助言をくれた。
置いておけば、いつかまた懐かしんで読むことがある。
実際、隣家の書架は充実している。
娘さんらが読んできたマンガも大事に保管されている。
うちの二男が勉強をさぼって隣家に入り浸るのも頷けた。
助言を受けてすぐさま家内は翻意した。
処分は中止。
その一声で、一階におろしたマンガ数百冊をシジフォスさながらわたしは三階に運び上げることになる。
かなりの労苦であるが、マンガは残った方がいいとわたしも思う。
いつだって、懐かしい。
それが実家の役割。
たとえば、うちの実家にはわたしが使っていた机がいまもそのまま置いてある。
見るたびに、懐かしい。
そうであってこその実家であろう。
幸い収納のスペースには困らない。
埃を払って本棚にきれいに並べ直せば息子らもまた手に取ることだろう。
ページの匂いが引き金となって、遠く過ぎ去ったはずの日々が胸のうちで再上演される。
今の真横に過去が立ち現れ併走し始め、そこに見出される様々な事柄は今に多大な示唆を与えることだろう。
そういう意味で懐かしさはかなりの値打ちもの。
処分するなどあり得ないことだろう。