朝7時、武庫川を走る人の姿はまばらであった。
空は曇天。
日の出直後の薄明かりのなか、空に浮かぶ雲と川面に映る雲がきれいな対称を描く様を横目に走り始めた。
空から注ぐ光量は徐々に増していった。
臨港線まで行って帰って計8km。
走り終えたとき、上空に居座っていた雲は文字通り雲散霧消していた。
太陽の光を除いて空を覆うものは何もなく、視界の先の先まで空はただただ青く清澄となっていた。
シャワーを終えてすぐ、家内の運転で家を出た。
目的地は、奈良桜井にある談山神社。
いまが紅葉の最盛期。
見逃せない。
談山神社は大化改新発祥の地として知られる。
中臣鎌足(後に藤原鎌足)と中大兄皇子(後に天智天皇)がここで蘇我氏を打倒せんと秘策を練った。
奈良明日香村までクルマで一時間ほど。
百人一首での登場回数で群を抜く天香久山が右手に見え、ここが古代都市大和の地であるのだとの感興が湧き出てくる。
日本という国の、綿菓子の芯とも言える役割をかつて果たした地の情緒を味わいつつのドライブとなった。
だから、スピード過多で飛ばす対向車のクルマに対し、そんなに急ぐな物部氏、と家内が言っても何ら違和感がなかった。
ちょいと遡ること1,500年前、ここらは蘇我氏や物部氏だらけだったはずである。
第一駐車場はすでに満杯。
第二駐車場にクルマを停めて降りる。
底冷えするような寒さを感じた。
都会から遠く隔たった奥深い地なのであると、その冷気で知らされた。
本殿に入ると驚いたことに西大和の教頭先生や体育の先生の姿が見えた。
しばらく様子を窺って状況が把握できた。
高校一年保護者役員御一行の遠足の地がここ談山神社であったようだ。
道理で小ぎれいで理知的に見えるお母様方が境内に大勢いたわけである。
本殿を抜け、紅葉の色鮮やかさに誘われるまま、家内と二人、談い山(かたらいやま)を登り、そして御破裂山まで足を伸ばし、藤原鎌足のお墓に手を合わせた。
山を降り、お昼は「夢一茶屋」。
石舞台古墳のすぐそばにある名店である。
わたしも家内も古代米御膳を頼んだ。
黒米のごはん、つるむらさきのおひたし、地のわさびの載った呉豆腐、こんにゃく、人参、揚げ、さつまいも、奈良漬、大根漬、すべてが美味しい。
まさに地産地消。
味覚を通じても古都奈良の地の底知れない魅力に触れることができた。
口にしたすべてが気に入って、階下にある「明日香の夢市」で地元食材を調達することにした。
ブレンドすると旨味が増すと家内が言うので、先日丹波で新米を買ったばかりであったが、ここで飛鳥の新米も買い求めた。
その他、漬物、お酒、醤油に豆腐、そして野菜類。
収穫大。
家内は大いに喜んだ。
荷物をクルマに積み、石舞台古墳など散策してから帰途についた。
帰りの運転はわたし。
往路と同様、復路も一時間ほど。
家に着いたときには夕刻。
家内が早速食事の支度をはじめた。
丹波と飛鳥の新米が相い合わさって雲井窯で炊かれ、神戸高見牛が焼かれそこに明日香村のわさび菜が添えられる。
同じく明日香村の豆腐には山椒の実入りの醤油をかけ、飲むお酒は丹波小鼓の大吟醸桃花。
遠出し買った食材はどれも美味しく、料理が趣味の家内と食べることが趣味のわたしの実利は完全に一致していた。
さあ、次はどこへ行こうか。
食材調達という楽しみが増え、季節ごとの遠出に胸が膨らむ。
子らは遠からず巣立っていく。
わたしたちはそろそろ初老の夫婦というステージに差し掛かっているのかもしれない。