起きろよ。
重低音で響く父の声を浴びる前に、さっさと起き出さなければならない。
そう考えうすらぼんやり寝床でもたついているうち気がついた。
ここは自分の家。
わたしが一家の主であり、重低音発する父と離れて暮らしかれこれ三十年以上になる。
不思議なものである。
今朝わたしが目を覚ましたとき、ひとつ屋根の下に父がいて母がいて弟や妹がいて、つまり三十年以上も前のわたしの家が眠りのなかそっくりそのまま出現しそこにも朝が訪れていたのである。
だからこの日夕刻、わたしはさっさと仕事を切り上げ、今朝わたしが居合わせた実家を訪ねることにしたのだった。
例のごとく、上六の近鉄百貨店に寄る。
試飲販売されていたのは奈良中本酒造の大吟醸原酒。
お酒はこれに決め、母の大好物である寿司と酒のあてにするための焼鳥を買った。
実家に着くと母だけがいて父は買物に出たという。
灼熱の夏、空き時間を活用するとすれば風呂になる。
わたしは近所の風呂屋に出かけた。
サウナに入って全身隅々まできれいになってすっきり爽快。
よく冷えたビールを買って帰って、父と母とわたしの3人で乾杯した。
父も寿司を買ってきたからテーブルのうえは寿司だらけとなった。
が、寿司が母の好物なのだから、この偏りこそが我が家の極上といってよかった。
ビールを飲んで父とわたしは日本酒に移り、あれこれ父は喋ったが要はこういうことであろう。
誰かの言葉尻にいちいち反応するのではなく、そんなものは無視して大きな流れを作るように動く。
そうであってこそ男子。
目の前にいるのは重低音の男。
わたしは言葉尻に合わせて賑やか踊る三下の端役であったが、幸いなことに授かった二人の息子たちは重低音でドスが利く素質を十分に秘めている。
それが開花するには、勉強ばかりしていてはならず、いろいろなことに取り組んでくんずほぐれつ揉まれるのが一番いいのだろう。
そんなことを考えつつ帰途につき、今日の学びを定着させるため地元駅前の焼鳥屋に入ってビールを飲んで焼鳥ついばみ復習を重ねた。
充実の学習を終え家に帰るとリビングでは女子会が始まっていた。
隣家の奥さんと名門大学生の娘二人が客人で、家内含めて計四人でわいわい楽しげ飲んで語らっている。
挨拶だけでしてわたしは自室に退散しすぐに寝入った。
夜中、二男に起こされた。
スティックを買うからお金をくれという。
朝起きる。
夜中、二男が寝床に現れたのは夢だったのではないだろうか、ふとそんな思いがよぎった。
それで枕元の財布を見たのであったが、中身はもぬけの殻。
夢うつつの状態が一気呵成に払拭されて、わたしがいま一体誰を家族として暮らしているのか、拍子抜けするほどの財布の軽さから強烈なリアリティを感じた。
2016年1月9日ゲルフに向け一人出発